正法眼蔵随聞記 / 巻四
亦示して云く、學人の第一の用心は、先つ我見を離るべし、我見を離るゝと云ふは、此の身を執すべからず、設ひ古人の語話を究め、常坐鐵石の如くなりとも、此の身に著して離れずんば、萬劫千生にも佛祖の道を得べからす、いかに況や權實の教法、顯密の正教を悟り得たりと云とも、身を執する心を離れずんば、徒らに他の寶を數て自ら半錢の分なし、
新字:亦示して云く、学人の第一の用心は、先つ我見を離るべし、我見を離るゝと云ふは、此の身を執すべからず、設ひ古人の語話を究め、常坐鉄石の如くなりとも、此の身に著して離れずんば、万劫千生にも仏祖の道を得べからす、いかに況や権実の教法、顕密の正教を悟り得たりと云とも、身を執する心を離れずんば、徒らに他の宝を数て自ら半銭の分なし、
書き下し
亦示して云く、学人の第一の用心は、先つ我見を離るべし、我見を離るゝと云ふは、此の身を執すべからず、設ひ古人の語話を究め、常坐鉄石の如くなりとも、此の身に著して離れずんば、万劫千生にも仏祖の道を得べからす、いかに況や権実の教法、顕密の正教を悟り得たりと云とも、身を執する心を離れずんば、徒らに他の宝を数て自ら半銭の分なし、
現代語訳
また示して言われた。学人の第一の心得は、まず我見を離れるべきである。我見を離れるというのは、この身に執着してはならないということである。たとえ古人の語話を究め、常に坐ること鉄石のようであっても、この身に執着して離れないならば、万劫千生にも仏祖の道を得られない。まして権と実の教法、顕教と密教の正しい教えを悟り得たと言っても、身に執着する心を離れないならば、いたずらに他人の宝を数えて、自分は半銭の分もないのである。
解説
この章句が説くこと
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