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正法眼蔵随聞記 / 巻二

亦或る時き近仕の侍者等云く、僧堂裡の衆僧眠りつがれて、或ひは病ひ起り、退心も起りつべし、これ坐の久き故か、坐禪の時剋を縮められばやと申しければ、長老大に嗔りて云く、然あるべからす、無道心の者の假りに僧堂に居するは、半時片時なりとも猶眠るべし、道心ありて修行の志有らんは、長からんにつけていよいよ喜び修せんずるなり、

新字:亦或る時き近仕の侍者等云く、僧堂裡の衆僧眠りつがれて、或ひは病ひ起り、退心も起りつべし、これ坐の久き故か、坐禅の時剋を縮められばやと申しければ、長老大に嗔りて云く、然あるべからす、無道心の者の仮りに僧堂に居するは、半時片時なりとも猶眠るべし、道心ありて修行の志有らんは、長からんにつけていよいよ喜び修せんずるなり、

書き下し

亦或る時き近仕の侍者等云く、僧堂裡の衆僧眠りつがれて、或ひは病ひ起り、退心も起りつべし、これ坐の久き故か、坐禅の時剋を縮められばやと申しければ、長老大に嗔りて云く、然あるべからす、無道心の者の仮りに僧堂に居するは、半時片時なりとも猶眠るべし、道心ありて修行の志有らんは、長からんにつけていよいよ喜び修せんずるなり、

現代語訳

またある時、近くに仕える侍者たちが言った。僧堂の中の僧たちが眠り続けて、あるいは病が起こり、退く心も起こりかねません。これは坐が長いゆえでしょうか。坐禅の時刻を縮められてはいかがでしょうか、と申したところ、長老は大いに怒って言われた。そうであってはならない。道心のない者がかりに僧堂にいるのは、半時片時であってもやはり眠るであろう。道心があって修行の志のある者は、長いほどいよいよ喜んで修めるものである、と。

解説

時間を短くすれば続くはずだ、という善意の提案が退けられる。理由は、眠るかどうかは長さではなく志によるからである。志のない者は短くても眠り、志のある者は長いほど喜ぶ。条件を緩めることでは解決しないという判断で、志を第一に置くこの書の一貫した見方がここでも働いている。

この章句が説くこと

道心坐禅時間懈怠譲歩

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