正法眼蔵随聞記 / 巻六
一日示して云く、古人の云く、聞くべし、見るべし、得るべし、亦云く、得ずんば見るべし、見ずんば聞くべしと、云ふ心は、聞んよりは見るべし、見んよりは得るべし、未だ得ずんば見るべし、未だ見ずんば聞くべしとなり、
書き下し
一日示して云く、古人の云く、聞くべし、見るべし、得るべし、亦云く、得ずんば見るべし、見ずんば聞くべしと、云ふ心は、聞んよりは見るべし、見んよりは得るべし、未だ得ずんば見るべし、未だ見ずんば聞くべしとなり、
現代語訳
ある日、示して言われた。古人は言った、聞くべし、見るべし、得るべし、と。またこうも言った、得られないなら見るべし、見られないなら聞くべし、と。その心は、聞くよりは見るべきである、見るよりは得るべきである、まだ得られないなら見るべきである、まだ見られないなら聞くべきである、ということである。
解説
聞く、見る、得るという三段を、上りと下りの両方から言い直した短い条。上へ向かえば聞くだけで済ませず自分で確かめよとなり、下りへ読めば、得られないからといって何もしないより見よ、見られないなら聞け、となる。どちらの向きにも逃げ場を残していない。
この章句が説くこと
聞見得実践段階学び
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