正法眼蔵随聞記 / 巻五
亦心に驕心はなけれども、ありのまゝにふるまへば、傍らの賤き人はうらやみいたむべきなり、是をよくつゝしむを、驕奢をつゝしむとは云ふなり、我身の富は果報にまかせて、貧賤の人見てうらやむをはゞからざるを、驕心と云ふなり、外典に云く、貧家の前を車に乘て過ることなかれと、しかあれば我が身朱車にのるべくとも、貧人の前をば憚るべしと云々、
新字:亦心に驕心はなけれども、ありのまゝにふるまへば、傍らの賤き人はうらやみいたむべきなり、是をよくつゝしむを、驕奢をつゝしむとは云ふなり、我身の富は果報にまかせて、貧賤の人見てうらやむをはゞからざるを、驕心と云ふなり、外典に云く、貧家の前を車に乗て過ることなかれと、しかあれば我が身朱車にのるべくとも、貧人の前をば憚るべしと云々、
書き下し
亦心に驕心はなけれども、ありのまゝにふるまへば、傍らの賤き人はうらやみいたむべきなり、是をよくつゝしむを、驕奢をつゝしむとは云ふなり、我身の富は果報にまかせて、貧賤の人見てうらやむをはゞからざるを、驕心と云ふなり、外典に云く、貧家の前を車に乗て過ることなかれと、しかあれば我が身朱車にのるべくとも、貧人の前をば憚るべしと云々、
現代語訳
また心に驕る気持ちはなくても、ありのままに振る舞えば、傍らの賤しい人は羨み痛むであろう。これをよく慎むのを、驕奢を慎むと言うのである。自分の身の富を果報に任せて、貧賤の人が見て羨むのを憚らないのを、驕る心と言うのである。外典に言う、貧しい家の前を車に乗って過ぎてはならない、と。であれば、自分の身は朱塗りの車に乗るはずであっても、貧しい人の前では憚るべきである、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・衛霊公篇師冕見ゆ。階に及べば、子曰く、「階なり。」席に及べば、子曰く、「席なり。」皆坐すれば、子之に告げて曰く、「某は斯に在り、某は斯に在り。」師冕出づ。子張問いて曰く、「師と言うの道か。」子曰く、「然り、固より師を相くるの道なり。」
-
説苑・雜言孔子将に行かんとするに、蓋無し。弟子曰く、「子夏に蓋有り、以て行く可し」と。孔子曰く、「商の人と為りや、甚だ財に短し。吾聞く、人と交わる者は、其の長ずる所を推し、其の短なる所を違く、故に能く久長なりと」と。
-
『大和俗訓』巻之五・言語一凡人のいみきらふこと、言ふべからず。人の生れつき、不具かたはなる者あり。又其行さきに大なる過ありしものあり。或は親先祖いやしかりしものあり。此たぐひ、言ひいだせば、聞く人きらひて、うらみ怒る。是世俗のいはゆるさしあひなり。心を用ひて言ふべからず。
-
『呻吟語』内篇・應務・其の跡を泯す其の私を恤へ、其の願ひを濟し、其の名を成し、其の跡を泯すは、體悉の至りなり。人を感ぜしむること心骨に淪む。故に言を察し色を觀るは、學の粗なり。情に達し意を會するは、學の精なり。
-
『武家家訓集』毛利元就三子教訓状「五龍(宍戸家に嫁いだ娘)のこと」一五龍之事、是又五もし所之儀、我々ふびんに存候條、三人共にひとへに〱此御心持にて、一代之間は三人同前之御存分ならては、於元就無曲恨み可申候〱、
-
司馬法・仁本その老幼を見ては、奉(ほう)じて帰し、傷つくる勿(な)かれ。壮者に遇うと雖も、校(きそ)わざれば敵とする勿れ。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る