正法眼蔵随聞記 / 巻五
亦心に驕心はなけれども、ありのまゝにふるまへば、傍らの賤き人はうらやみいたむべきなり、是をよくつゝしむを、驕奢をつゝしむとは云ふなり、我身の富は果報にまかせて、貧賤の人見てうらやむをはゞからざるを、驕心と云ふなり、外典に云く、貧家の前を車に乘て過ることなかれと、しかあれば我が身朱車にのるべくとも、貧人の前をば憚るべしと云々、
新字:亦心に驕心はなけれども、ありのまゝにふるまへば、傍らの賤き人はうらやみいたむべきなり、是をよくつゝしむを、驕奢をつゝしむとは云ふなり、我身の富は果報にまかせて、貧賤の人見てうらやむをはゞからざるを、驕心と云ふなり、外典に云く、貧家の前を車に乗て過ることなかれと、しかあれば我が身朱車にのるべくとも、貧人の前をば憚るべしと云々、
書き下し
亦心に驕心はなけれども、ありのまゝにふるまへば、傍らの賤き人はうらやみいたむべきなり、是をよくつゝしむを、驕奢をつゝしむとは云ふなり、我身の富は果報にまかせて、貧賤の人見てうらやむをはゞからざるを、驕心と云ふなり、外典に云く、貧家の前を車に乗て過ることなかれと、しかあれば我が身朱車にのるべくとも、貧人の前をば憚るべしと云々、
現代語訳
また心に驕る気持ちはなくても、ありのままに振る舞えば、傍らの賤しい人は羨み痛むであろう。これをよく慎むのを、驕奢を慎むと言うのである。自分の身の富を果報に任せて、貧賤の人が見て羨むのを憚らないのを、驕る心と言うのである。外典に言う、貧しい家の前を車に乗って過ぎてはならない、と。であれば、自分の身は朱塗りの車に乗るはずであっても、貧しい人の前では憚るべきである、と。
解説
驕りを、心の問題から行いの問題へ移している。悪気がなくても、ありのままにしていることが人を痛ませるなら、それは驕りだという定義になる。貧しい家の前を車で通るなという外典の一句が、慎みの具体として置かれている。
この章句が説くこと
驕心慎配慮富果報外典
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