正法眼蔵随聞記 / 巻三
一日示して云く、宋土の海門禪師、天童の長老たりし時、會下に元首座と云僧ありき、この人は得法悟道の人にて、行持長老にも超たり、有時夜る方丈に參じて、燒香禮拜して云く、請すらくは某甲に後堂首座を許せと、時に禪師流涕して云く、我れ小僧たりし時より、未た此の如きの事を聞かず、汝坐禪僧として首座長老を所望すること大ひなる錯なり、なんぢ既に悟道せること我れにも越いたり、然あるに首座を望むこと是れ昇進の爲か、許すことは前堂をも乃至長老をも許すべし、その心操卑劣なり、誠に是を以て餘の未悟の僧は推察せられたり、佛法の衰微せること是を以て知ぬべしと云ふて、流涕悲泣す、
新字:一日示して云く、宋土の海門禅師、天童の長老たりし時、会下に元首座と云僧ありき、この人は得法悟道の人にて、行持長老にも超たり、有時夜る方丈に参じて、焼香礼拝して云く、請すらくは某甲に後堂首座を許せと、時に禅師流涕して云く、我れ小僧たりし時より、未た此の如きの事を聞かず、汝坐禅僧として首座長老を所望すること大ひなる錯なり、なんぢ既に悟道せること我れにも越いたり、然あるに首座を望むこと是れ昇進の為か、許すことは前堂をも乃至長老をも許すべし、その心操卑劣なり、誠に是を以て余の未悟の僧は推察せられたり、仏法の衰微せること是を以て知ぬべしと云ふて、流涕悲泣す、
書き下し
一日示して云く、宋土の海門禅師、天童の長老たりし時、会下に元首座と云僧ありき、この人は得法悟道の人にて、行持長老にも超たり、有時夜る方丈に参じて、焼香礼拝して云く、請すらくは某甲に後堂首座を許せと、時に禅師流涕して云く、我れ小僧たりし時より、未た此の如きの事を聞かず、汝坐禅僧として首座長老を所望すること大ひなる錯なり、なんぢ既に悟道せること我れにも越いたり、然あるに首座を望むこと是れ昇進の為か、許すことは前堂をも乃至長老をも許すべし、その心操卑劣なり、誠に是を以て余の未悟の僧は推察せられたり、仏法の衰微せること是を以て知ぬべしと云ふて、流涕悲泣す、
現代語訳
ある日示して言われた。宋の海門禅師が天童の長老であった時、会下に元首座という僧がいた。この人は法を得て道を悟った人で、日々の行いの持し方は長老にも超えていた。あるとき夜、方丈に参じて、香を焚き礼拝して言った。どうか、わたくしに後堂首座をお許しください、と。その時、禅師は涙を流して言われた。わたしは小僧であった時から、いまだこのような事を聞いたことがない。おまえは坐禅僧でありながら首座や長老を所望すること、大いなるあやまちである。おまえはすでに悟道することがわたしにも越えている。それなのに首座を望むのは、これは昇進のためか。許すことは前堂をも、さらには長老をも許すであろう。その心の操りが卑劣である。まことにこれをもって、他の未だ悟らない僧たちも推し量られる。仏法が衰微していることは、これをもって知られるのだ、と言って、涙を流して悲しみ泣いた。
解説
この章句が説くこと
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『韓非子』顯學第五十故に孔子曰く、「容を以て人を取らんか、之を子羽に失す、言を以て人を取らんか、之を宰予に失す。」・・・故に明主の吏・宰相は必ず州部より起こり、猛將は必ず卒伍より發る。
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『正法眼蔵随聞記』巻三是れに愧て辞すといへども、猶終に首座に請す、其の後元首座此の詞はを記録して、自らを愧しめて師の美言を顕はす、今ま是を案ずるに、昇進を望み、物のかしらとなり、長老とならんと思ふことをば、古人是を慚ぢしむ、只道を悟らんとのみ思ふて余事あるべからず、
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『墨子』尚賢中且つ夫れ王公大人、其の色を愛して使う所有り、其の人、其の知を察せずして、其の愛に與す。是の故に百人を治むる能わざる者をして、千人の官に處らしめ、千人を治むる能わざる者をして、萬人の官に處らしむ。此れ其の故は何ぞや。曰く、「若し官に處る者は爵髙くして祿厚し。故に其の色を愛して之を使うなり」と。夫れ千人を治むる能わざる者をして、萬人の官に處らしむれば、則ち此の官は什倍なり。夫れ治の法は將に日ごとに至らんとする者なり。日ごとに以て之を治むるも、日は什に脩まらず、知を以て之を治むるも、知は什に益さず。而も官を予うること什倍なれば、則ち此れ一を治めて其の九を棄つるなり。日夜相接いで以て若の官を治むと雖も、官は猶お治まらざるが若し。此れ其の故は何ぞや。則ち王公大人、尚賢使能を以て政を為すに明らかならざればなり。故に尚賢使能を以て政を為して治まる者は、夫の言の謂いなり。下賢を以て政を為して亂るる者は、吾が言の謂いなり。
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『宋名臣言行録』前集巻三・向敏中右僕射に除せらる。麻下るの日、翰學李昌武當に對すべし。真宗之に謂いて曰く、朕、即位より未だ嘗て右僕射を除せず。今日、以て敏中に命ず。此れ殊命なり。敏中は應に甚だ喜ぶべしと。對えて曰く、臣未だ宣麻を知らず。亦た敏中の何如なるかを知らずと。上曰く、敏中は今日、門下の賀客必ず多からん。卿往きて之を觀よ。明日却って對し来たれ。朕が意を言う勿かれと。昌武□丞相の歸るを、乃ち往きて之を見る。門に一人も無し。昌武徑ちに入りて之に見え、徐ろに賀して曰く、今日、降麻を聞く。士大夫歡慰せざるは莫しと。公但だ唯唯たり。又た曰く、上、即位より未だ嘗て端揆を除せず。自ら徳重く眷殊なるに非ずんば、何を以て此に至らんと。公復た唯唯たり。又た厯く前世の僕射為る者の勲勞徳業の盛んなる、禮命の重きを陳ぶ。公も亦た唯唯たり。卒に一言も無し。既に退き、復た人をして庖厨の中に至りて、今日、親戚賔客の宴飲する者有るや無きやを問わしむ。亦た寂として一人も無し。乃ち具さに見る所を以て對う。上笑いて曰く、敏中は大いに官職に耐うと。
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『宋名臣言行録』前集巻四・冦凖王元之の子嘉祐、館職と為る。平時愚騃の若し。獨り公のみ之を知り、喜びて之と語る。公、開封府を知る。一旦、嘉祐に問いて曰く、外人、劣丈を謂うこと云何と。嘉祐曰く、外人皆な云う、丈人旦夕に相に入らんと。公曰く、吾が子の意に于いては何如と。嘉祐曰く、愚を以て之を觀るに、丈人は未だ相と為らざるを善しと為すに若かず。相たれば則ち譽望損せん。公曰く、何の故ぞと。曰く、古よりの賢相の能く功業を建て生民を澤す所以の者は、其の君臣相い得ること魚の水有るが如し。故に言聴かれ計從われて功名俱に美なり。今、丈人は天下の重望を負う。相たれば則ち中外に太平の責め有らん。丈人の明主に于ける、能く魚の水有るが若くならんや。此れ嘉祐の譽望の損ぜんことを恐るる所以なりと。公喜びて起ちて其の手を執りて曰く、元之は文章天下に冠たりと雖も、深識遠慮に至りては、殆ど吾が子に勝る能わずと。