正法眼蔵随聞記 / 巻四
始て懷奘を興聖寺の首座に請す、卽ち小參の次で、初て秉拂を首座に請ふ、是れ興聖寺最初の首座なり、小參の趣きは、宗門の佛法傳來の事を擧揚するなり、初祖西來して、少林に居して機をまち、時を期して面壁して坐せしに、某の歲の窮臘に、神光來參しき、初祖最上乘の器なりと知て、接得して、衣法共に相承傳來して、兒孫天下に流布し、正法今日に弘通す、當寺始て首座を請し、今日初て秉拂を行なはしむ、衆の少きを憂ふること莫れ、身の初心なるを顧みることなかれ、汾陽は僅に六七人、藥山は十衆に滿たざるなり、然あれども皆佛祖の道を行じき、是を叢林のさかんなると云ひき、
新字:始て懐奘を興聖寺の首座に請す、即ち小参の次で、初て秉払を首座に請ふ、是れ興聖寺最初の首座なり、小参の趣きは、宗門の仏法伝来の事を挙揚するなり、初祖西来して、少林に居して機をまち、時を期して面壁して坐せしに、某の歳の窮臘に、神光来参しき、初祖最上乗の器なりと知て、接得して、衣法共に相承伝来して、児孫天下に流布し、正法今日に弘通す、当寺始て首座を請し、今日初て秉払を行なはしむ、衆の少きを憂ふること莫れ、身の初心なるを顧みることなかれ、汾陽は僅に六七人、薬山は十衆に満たざるなり、然あれども皆仏祖の道を行じき、是を叢林のさかんなると云ひき、
書き下し
始て懐奘を興聖寺の首座に請す、即ち小参の次で、初て秉払を首座に請ふ、是れ興聖寺最初の首座なり、小参の趣きは、宗門の仏法伝来の事を挙揚するなり、初祖西来して、少林に居して機をまち、時を期して面壁して坐せしに、某の歳の窮臘に、神光来参しき、初祖最上乗の器なりと知て、接得して、衣法共に相承伝来して、児孫天下に流布し、正法今日に弘通す、当寺始て首座を請し、今日初て秉払を行なはしむ、衆の少きを憂ふること莫れ、身の初心なるを顧みることなかれ、汾陽は僅に六七人、薬山は十衆に満たざるなり、然あれども皆仏祖の道を行じき、是を叢林のさかんなると云ひき、
現代語訳
嘉禎二年の十二月大晦日、初めて懐奘を興聖寺の首座に請じた。すなわち小参のついでに、初めて秉払を首座に請うた。これが興聖寺で最初の首座である。小参の趣旨は、宗門に仏法が伝来した事を挙げ示すものである。初祖が西より来て少林に居し、機を待ち時を期して面壁して坐しておられたところ、ある年の十二月の末に神光が来て参じた。初祖は最上乗の器であると知って、受け入れ、衣と法をともに相承し伝来して、その子孫が天下に流布し、正法は今日に広まった。当寺で初めて首座を請じ、今日初めて秉払を行わせる。衆が少ないことを憂えてはならない。身が初心であることを顧みてはならない。汾陽はわずかに六、七人、薬山は十人にも満たなかった。しかしながら、みな仏祖の道を行じた。これを叢林が盛んであると言ったのである。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻四必ず須からくこれ琢磨し練磨すべし、自ら卑下して学道をゆるくすることなかれ、古人の云く、光陰空くわたることなかれと、今問ふ、時光は惜むによりてとゞまるか、惜めどもとゞまらざるか、すべからくしるべし、時光は空くわたらず、人は空くわたることを、人も時光とおなじくいたづらに過すことなく、切に学道せよと云ふなり、かくのごとく参究を同心にすべし、我れ独り挙揚するも、容易にするにあらざれども、仏祖行道の儀、大綱みなかくの如くなり、如来の開示に随ひて得道するもの多けれども、亦阿難によりて悟道する人もありき、新首座非器なりと卑下することなかれ、洞山の麻三斤を挙揚して同衆に示すへしと云て、座を下て後ち、再び鼓を鳴らして、首座秉払す、是れ興聖最初の秉払なり、懐奘三十九の歳なり、
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『正法眼蔵随聞記』巻三爾りしこのかた、天竺漢土の祖師の、よきと人にも知られしは、みな貧窮乞食なさしめ給ふなり、況や我が門の祖師、皆な財宝を貯ふべからずとのみ勧むるなり、教家にも此宗を讃するには、先つ貧をほめ、伝来の書録にも貧を記してほむるなり、いまた財宝に富み、豊かにして仏法を行するとは聞かず、皆よき仏法者と云ふは、或は布納衣常乞食なり、禅門をよき宗と云ひ、禅僧を他に異なりとする初の興りは、むかし教院律院等に雑居せし時にも、身を捨てゝ貧人なるを以てなり、宗門の家風先つ此のことを存知すへし、聖教の文理を待つべきにあらす、
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『正法眼蔵随聞記』巻三是れに愧て辞すといへども、猶終に首座に請す、其の後元首座此の詞はを記録して、自らを愧しめて師の美言を顕はす、今ま是を案ずるに、昇進を望み、物のかしらとなり、長老とならんと思ふことをば、古人是を慚ぢしむ、只道を悟らんとのみ思ふて余事あるべからず、