正法眼蔵随聞記 / 巻四
龍牙云く、學道先ッ須シ且學貧ヲ、學貧貧後ニ道方ニ親と云ふ、昔し釋尊より今に至るまで、眞實學道の人たからにゆたかなりとは聞かず見ざるなり、
新字:竜牙云く、学道先ッ須シ且学貧ヲ、学貧貧後ニ道方ニ親と云ふ、昔し釈尊より今に至るまで、真実学道の人たからにゆたかなりとは聞かず見ざるなり、
書き下し
竜牙云く、学道先ッ須シ且学貧ヲ、学貧貧後ニ道方ニ親と云ふ、昔し釈尊より今に至るまで、真実学道の人たからにゆたかなりとは聞かず見ざるなり、
現代語訳
龍牙は言った、道を学ぶにはまずすべからく、しばらく貧を学べ。貧を学んで貧しくして後、道はまさに親しくなる、と。昔、釈尊より今に至るまで、真実に道を学ぶ人が宝に豊かであるとは、聞きもせず見もしないのである。
解説
龍牙居遁の句を引いて、貧しさを学びの順序の最初に置く。貧を学ぶという言い方が特徴で、状態としての貧困ではなく、身につける作法として語られている。釈尊から今日まで一人も例外を見ないという言い方で、これが例外的な生き方ではないことが示される。
この章句が説くこと
貧学道順序竜牙財先例
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