正法眼蔵随聞記 / 巻四
示して云く、傳へ聞く實否は知らざれども、故持明院の中納言入道あるとき祕藏の太刀を盗まれたりけるに、士の中に犯人ありけるを、餘の士沙汰し出してまゐらせたりしに、入道の云へらく、此れは我が太刀にあらずひがことなりとてかへされたり、決定その太刀なれども、士の恥辱を思ふてかへされたりと、人皆な是を知りけれども、其の時は無爲にしてすぎけり、故に子孫も繁昌せり、俗なほ心ある人はかくの如し、
新字:示して云く、伝へ聞く実否は知らざれども、故持明院の中納言入道あるとき秘蔵の太刀を盗まれたりけるに、士の中に犯人ありけるを、余の士沙汰し出してまゐらせたりしに、入道の云へらく、此れは我が太刀にあらずひがことなりとてかへされたり、決定その太刀なれども、士の恥辱を思ふてかへされたりと、人皆な是を知りけれども、其の時は無為にしてすぎけり、故に子孫も繁昌せり、俗なほ心ある人はかくの如し、
書き下し
示して云く、伝へ聞く実否は知らざれども、故持明院の中納言入道あるとき秘蔵の太刀を盗まれたりけるに、士の中に犯人ありけるを、余の士沙汰し出してまゐらせたりしに、入道の云へらく、此れは我が太刀にあらずひがことなりとてかへされたり、決定その太刀なれども、士の恥辱を思ふてかへされたりと、人皆な是を知りけれども、其の時は無為にしてすぎけり、故に子孫も繁昌せり、俗なほ心ある人はかくの如し、
現代語訳
示して言われた。伝え聞いたことで実否は知らないけれども、故持明院の中納言入道が、あるとき秘蔵の太刀を盗まれたところ、侍の中に犯人がいたのを、他の侍が取り調べて差し出したところ、入道が言われた。これは自分の太刀ではない、間違いである、といって返された。まさしくその太刀であったけれども、侍の恥辱を思って返されたのだと、人はみなこれを知っていたけれども、その時は何事もなく過ぎた。だから子孫も繁栄した。俗世でさえ心ある人はこのようである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・離俗④齊の莊公の時、士有り、賓卑聚と曰う、夢に壯子有り、白縞の冠、丹繢の䘩、東布の衣、新たなる素履、墨き劍室、從にして之を叱し、其の面に唾す。惕然として寤むれば、徒に夢なり。終夜坐して自ら快からず。明日、其の友を召して之に告げて曰く、「吾少きより勇を好み、年六十にして挫して辱しめらるる所無し。今夜辱しめらる。吾將に其の形を索めんとす。期して之を得れば則ち可、得ずんば將に之に死せんとす。」毎朝其の友と俱に衢に立ち、三日得ず。卻きて自ら歿す。此を務に當れりと謂うは、則ち未だしきなり。然りと雖も、其の心の辱しめられざるは、以て加う可き有らんや。
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『正法眼蔵随聞記』巻四いはんや出家人必ずしも此の心あるべし、出家人はもとより身に財宝なければ、智慧功徳を以てたからとす、他の無道心なる、ひがことなんどを直に面てにあらはして、非におとすべからず、方便を以て彼れのはらたつまじき様に云ふべきなり、暴悪なるは其の法久しからずと云ふ、設ひ法を以て呵噴するとも、あらき言葉なるは法も久しからざるなり、小人下器はいさゝかも人のあらき言ばに必ず即ちはらたち、恥辱を思ふなり、大人上器には似るべからず、大人はしかあらず設ひ打たるれども報を思はす、今我国には小人多し、つゝしまずんはあるべからざるなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻三夜話に云く、学道の人は最も貧なるべし、世人を見るに、財ある人はまづ嗔恚耻辱の二つの難定めて来るなり、宝あれば人是を奪ひ取らんと思ふ、我は取られじとする時、嗔恚たちまちに起る、或は是を論じて問答対決に及び、つゐには闘争合戦をいたす、かくの如くのあひだに嗔恚も起り、恥辱も来るなり、貧にして貪ぼらざる時は、先づ此の難を免れて安楽自在なり、證拠眼前なり、教文を待べからず、爾のみならず、古聖先賢是を謗り、諸天仏祖皆な是を恥かしむ、然あるに愚癡なる人は財宝を貯へ、そこばくの嗔恚をいだくこと、恥辱の中の恥辱なり、
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論語・学而篇有子曰く、「信義に近ければ、言復む可きなり。恭礼に近ければ、恥辱に遠ざかるなり。因りて其の親を失わざれば、亦宗とす可きなり。」
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『新序』義勇第八宋の閔公の臣長萬勇力を以て聞こゆ。萬魯と戰い、師敗れ、魯の獲うる所と爲る。之を宮中に囚え、數月にして之を宋に歸す。宋の閔公博し、婦人側に在り。公萬に謂いて曰く、魯君と寡人と孰れか美なる、と。萬曰く、魯君美なり。天下の諸侯、唯だ魯君のみ。宜なる其の君爲るや、と。閔公矜り、婦人妬みて因りて言いて曰く、爾は魯の囚虜なるのみ。何をか知らん、と。萬怒り、遂に閔公の頰を搏つ。齒口より落ち、吭を絶ちて死す。仇牧君の死せるを聞き、趨りて至る。萬に門に遇う。劍を擕えて之を叱す。萬臂もて仇牧を擊ちて之を殺す。齒門闔に著く。仇牧は疆禦を畏れずと謂う可し。君の難に趨きて、顧みて踵を旋らさず。
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『正法眼蔵随聞記』巻一亦云く、大衆不対の時、我れ南泉ならば、大衆既に道不得と云て、便ち猫児を放下してまじ、古人の云く、大用現前して軌則を存せずと、