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正法眼蔵随聞記 / 巻六

示して云く、學道の人衣食を貪ることなかれ、人々皆食分あり、命分あり非分の命食を求るとも得べからず、況や學佛道の人にはおのづから施主の供養あり、常乞食たゆべからず、亦常住物もこれあり、私の營みにあらず、果蔬と乞食と信心施との三種の食は、皆な是れ清淨食なり、其の餘の田商士工の四種の食は、皆不淨の邪命食なり、出家人の食分にあらず、

新字:示して云く、学道の人衣食を貪ることなかれ、人々皆食分あり、命分あり非分の命食を求るとも得べからず、況や学仏道の人にはおのづから施主の供養あり、常乞食たゆべからず、亦常住物もこれあり、私の営みにあらず、果蔬と乞食と信心施との三種の食は、皆な是れ清浄食なり、其の余の田商士工の四種の食は、皆不浄の邪命食なり、出家人の食分にあらず、

書き下し

示して云く、学道の人衣食を貪ることなかれ、人々皆食分あり、命分あり非分の命食を求るとも得べからず、況や学仏道の人にはおのづから施主の供養あり、常乞食たゆべからず、亦常住物もこれあり、私の営みにあらず、果蔬と乞食と信心施との三種の食は、皆な是れ清浄食なり、其の余の田商士工の四種の食は、皆不浄の邪命食なり、出家人の食分にあらず、

現代語訳

示して言われた。学道の人は衣食を貪ってはならない。人にはみな食の分があり、命の分がある。分に応じない命や食を求めても得られはしない。まして仏道を学ぶ人には、おのずから施主の供養がある。托鉢の食が絶えることはない。また寺の常住物もある。私の営みではない。菜果と乞食と信心の施しという三種の食は、みなこれ清浄の食である。その他の農・商・士・工という四種の食は、みな不浄の邪命食である。出家人の食の分ではない。

解説

食を、どこから得たかで清浄と不浄に分ける。施しと托鉢と自然の実りは清浄、生業で稼いだものは僧にとって邪命食とされる。厳しい線引きだが、その前提として、人にはそれぞれ食の分があり求めても増えないと言い切っているところに、この条の安心がある。

この章句が説くこと

衣食邪命食清浄乞食

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