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正法眼蔵随聞記 / 巻一

外典に云く西施毛端にあらざれども色を好む者は色を好む、飛兎綠耳に非ざれども馬を好む者は馬を好む、龍肝鳳髓にあらざれども味を好む者は味を好む、只隨分の賢を用るのみなり、俗なほ此の儀あり、佛家亦かくの如くなるべし、況や亦佛二十年の福分を以て末法の我らに施す、是に依て天下の叢林人天の供養絕ねず、如來神通の福德自在なるも、馬麥を食して夏を過しましましき、末法の弟子豈に是を慕はざらんや、

新字:外典に云く西施毛端にあらざれども色を好む者は色を好む、飛兎綠耳に非ざれども馬を好む者は馬を好む、竜肝鳳髄にあらざれども味を好む者は味を好む、只随分の賢を用るのみなり、俗なほ此の儀あり、仏家亦かくの如くなるべし、況や亦仏二十年の福分を以て末法の我らに施す、是に依て天下の叢林人天の供養絶ねず、如来神通の福徳自在なるも、馬麦を食して夏を過しましましき、末法の弟子豈に是を慕はざらんや、

書き下し

外典に云く西施毛端にあらざれども色を好む者は色を好む、飛兎綠耳に非ざれども馬を好む者は馬を好む、竜肝鳳髄にあらざれども味を好む者は味を好む、只随分の賢を用るのみなり、俗なほ此の儀あり、仏家亦かくの如くなるべし、況や亦仏二十年の福分を以て末法の我らに施す、是に依て天下の叢林人天の供養絶ねず、如来神通の福徳自在なるも、馬麦を食して夏を過しましましき、末法の弟子豈に是を慕はざらんや、

現代語訳

外典に言う、西施や毛嬙でなくとも、色を好む者は色を好む。飛兎や緑耳でなくとも、馬を好む者は馬を好む。龍の肝や鳳の髄でなくとも、味を好む者は味を好む、と。ただ分に随った賢さを用いるばかりである。俗世でさえこの筋がある。仏家もまたこのようであるべきである。まして仏は二十年分の福分をもって末法のわれらに施された。これによって天下の叢林で人天の供養が絶えないのである。如来は神通の福徳が自在であったが、馬の食う麦を食べて夏を過ごされた。末法の弟子がどうしてこれを慕わないでいられようか。

解説

絶世の美女や名馬や珍味でなければ楽しめないわけではない、という外典の言い回しを引いて、最上でなければ意味がないという考えを崩す。分に応じた賢さを用いよという結論は、前段の任運と対になっている。最後に、如来ですら馬麦を食べて夏を過ごした故事を置き、粗末な食を恥じる理由がないことを、最も高い例で示している。

この章句が説くこと

足るを知る福分末法供養馬麦

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