正法眼蔵随聞記 / 巻三
亦ある僧云く、某甲老母現在せり、我れは卽ち一子なり、ひとへに某甲扶持に依りて度世す、恩愛もことに深し、孝順の志しも深し、是れに依ていさゝか世に隨ひ人に隨ふて、他の恩力を以て母の衣糧にあつ、我れ若し遁世籠居せば、母は一日の活命も存じ難し、是れに依て世間にありて一向佛道に入らさらんことも難事なり、若し猶も捨てゝ道に入るべき道理あらば、其の旨いかなるべきぞ、示して云く、此こと難事なり、他人のはからひに非ず、たゞ自ら能々思惟して、誠に佛道に志し有らば、いかなる支度方便をも案じて、母儀の安堵活命をも支度して、佛道に入らば、兩方倶によき事なり、切に思ふことは必ずとぐるなり、强き敵、深き色、重き寶なれとも、切に思ふ心ふかければ、必ず方便も出來る樣あるべし、是れ天地善神の冥加もありて必す成するなり、
新字:亦ある僧云く、某甲老母現在せり、我れは即ち一子なり、ひとへに某甲扶持に依りて度世す、恩愛もことに深し、孝順の志しも深し、是れに依ていさゝか世に随ひ人に随ふて、他の恩力を以て母の衣糧にあつ、我れ若し遁世籠居せば、母は一日の活命も存じ難し、是れに依て世間にありて一向仏道に入らさらんことも難事なり、若し猶も捨てゝ道に入るべき道理あらば、其の旨いかなるべきぞ、示して云く、此こと難事なり、他人のはからひに非ず、たゞ自ら能々思惟して、誠に仏道に志し有らば、いかなる支度方便をも案じて、母儀の安堵活命をも支度して、仏道に入らば、両方倶によき事なり、切に思ふことは必ずとぐるなり、強き敵、深き色、重き宝なれとも、切に思ふ心ふかければ、必ず方便も出来る様あるべし、是れ天地善神の冥加もありて必す成するなり、
書き下し
亦ある僧云く、某甲老母現在せり、我れは即ち一子なり、ひとへに某甲扶持に依りて度世す、恩愛もことに深し、孝順の志しも深し、是れに依ていさゝか世に随ひ人に随ふて、他の恩力を以て母の衣糧にあつ、我れ若し遁世籠居せば、母は一日の活命も存じ難し、是れに依て世間にありて一向仏道に入らさらんことも難事なり、若し猶も捨てゝ道に入るべき道理あらば、其の旨いかなるべきぞ、示して云く、此こと難事なり、他人のはからひに非ず、たゞ自ら能々思惟して、誠に仏道に志し有らば、いかなる支度方便をも案じて、母儀の安堵活命をも支度して、仏道に入らば、両方倶によき事なり、切に思ふことは必ずとぐるなり、强き敵、深き色、重き宝なれとも、切に思ふ心ふかければ、必ず方便も出来る様あるべし、是れ天地善神の冥加もありて必す成するなり、
現代語訳
一向に依って行うべきである。またある僧が言った。わたくしには老母が生きております。わたくしはただ一人の子です。ひとえにわたくしの扶養によって世を渡っております。恩愛もことに深く、孝順の志も深いのです。それによって、いささか世に随い人に随って、他人の恩の力によって母の衣食に当てています。わたくしがもし遁世して籠居すれば、母は一日の命も保ちがたいでしょう。それによって世間にあって、一向に仏道に入らないことも難しいことです。もしそれでも捨てて道に入るべき道理があるならば、その趣きはどうあるべきでしょうか。示して言われた。この事は難しい事である。他人が計らうことではない。ただ自ら、よくよく思惟して、まことに仏道に志があるならば、いかなる手立てや方便をも考えて、母上の安堵と暮らしをも手当てして仏道に入るならば、両方ともによい事である。切に思うことは必ず遂げるのである。強い敵、深い色、重い宝であっても、切に思う心が深ければ、必ず方便も出てくる道があるはずである。これは天地の善神の加護もあって、必ず成るのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『家道訓』巻之三・総論下一凡家の主は、四民ともに其身ををさめて、家をおこさんことを志すべし。まづ親先祖より伝はれる禄と財とを失はずして、よくたもつを孝とすべし。つみなけれど、災ありて失ふはちからに及ばず。不徳にしてみづから財禄を失ひ、或は財禄をへらすは、大なる不孝なり。家業をよくつとめておこたらず、倹約にしておごらず、万の事つつしみてあやまりすくなくし、家を能く治めておこたらざるは善士なり。其志ある者は、其事遂に成るといへり。其志かくの如くなる善士は、必ず家をおこす。
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『養生訓』巻第八・養老一老人は体気よわし。是を養ふは大事なり。子たる者、つつしみて心を用ひおろそかにすべからず。第一、心にそむかず心を楽ましむべし。是志を養ふなり。又口腹の養におろそかなるべからず。酒食精しく、味よき物をすすむべし。食の精しからざるあらき物、味あしき物、性あしき物をすすむべからず。老人は、腸胃よわく、あらき物にやぶられやすし。
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『講孟余話』離婁上 第十九章此の章、親に事ふる・身を守るの二事を論ず。終りに親に事ふるの一事を承けて、曾子・曾元の孝を引きて、口体を養ふと志を養ふとを弁別す。志を養ふを以て主とす。「与ふる所を請ふ、曰く有り」と云ふは、特に其の端を云ふのみ。志を養ふの義は甚だ広大なり。凡そ父母の志の達する様にすること、皆是れなり。人の子たる者、父母の心を以て心とする時は孝と云ふべしと云ふも、即ち此の義なり。
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『斉家論』上名聞利欲もはなれやすき事あり。是を導かん為なり。尤も文学に拙き講釈なれば、聴衆もすくなからん。若し聞く人なくば、たとひ辻立ちして成りとも、吾が志を述べんと思へり。ねがふ所は、一人成りとも五倫の交はりを知り、君に事ふる者ならば、己を忘れ身をゆだね、苦労をかへりみず、勤むべき事を先とし、得る事を後にするの忠をつくす人出で、又父母に事ふるに、親しく愛しまいらせ、常々よろこべる顔色あつて、身のとりまはしは、柳の風になびくが如く、睦じくつかふるの孝をつくす人出で来たらば、これ生涯の楽しみ也。たとひ千万人に笑はれ恥をうくとも、いとふことなき志なり。其の比実儀あつて、へつらひなき朋友の有りしが、某にいはるるは、汝は我に比すれば学者なり。
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