正法眼蔵随聞記 / 巻四
只請ふらくは、學人靜坐して、道理を以て此の身の始終を尋ぬべし、身體髮膚は父母の二滴、一息とゞまりぬれば山野に離散して、終に泥土となる、何を持てか身と執せん、況や法を以て見れば、十八界の聚散、いつれの法をか決定して我が身とせん、教內教外別なりとも、我が身の始終不可得なることを、行道の用心とすること是れ同しく、先づ此の道理に達すれば、寔の佛道顯然なるものなり、一日示して云く、
新字:只請ふらくは、学人静坐して、道理を以て此の身の始終を尋ぬべし、身体髪膚は父母の二滴、一息とゞまりぬれば山野に離散して、終に泥土となる、何を持てか身と執せん、況や法を以て見れば、十八界の聚散、いつれの法をか決定して我が身とせん、教内教外別なりとも、我が身の始終不可得なることを、行道の用心とすること是れ同しく、先づ此の道理に達すれば、寔の仏道顕然なるものなり、一日示して云く、
書き下し
只請ふらくは、学人静坐して、道理を以て此の身の始終を尋ぬべし、身体髪膚は父母の二滴、一息とゞまりぬれば山野に離散して、終に泥土となる、何を持てか身と執せん、況や法を以て見れば、十八界の聚散、いつれの法をか決定して我が身とせん、教内教外別なりとも、我が身の始終不可得なることを、行道の用心とすること是れ同しく、先づ此の道理に達すれば、寔の仏道顕然なるものなり、一日示して云く、
現代語訳
ただ願わくは、学人は静かに坐して、道理をもってこの身の始めと終わりを尋ねるべきである。身体や髪膚は父母の二滴である。一息が止まってしまえば山野に離散して、ついには泥土となる。何をもって身と執着するのか。まして法をもって見れば、十八界の集まり散ずるものである。どの法を決まったものとして自分の身とするのか。教内と教外は別であっても、自分の身の始終が得られないものであることを行道の心得とすることは同じである。まず、この道理に達すれば、まことの仏道は明らかなものである。
解説
この章句が説くこと
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