正法眼蔵随聞記 / 巻一
僧ならば德の有無を擇らまず、只供養すべきなり、殊に其の外相を以て內德の有無を決定すべからず、末世の比丘いさゝか外惡相尋常ならぬ處見ゆれども、亦是れにまされる惡心も惡事もあるなり、然る間だよき僧あしき僧を差別し思ふこと無ふして、佛弟子なれば貴ひて、平等の心にて供養歸敬もせば必ず佛意に契ふて、利益もひろかるべし、亦冥機冥應顯機顯應等の四句あることを思ふべし、亦現生後報等の三時業のこともあり、是らの道理能々學すべきなり、
新字:僧ならば徳の有無を択らまず、只供養すべきなり、殊に其の外相を以て内徳の有無を決定すべからず、末世の比丘いさゝか外悪相尋常ならぬ処見ゆれども、亦是れにまされる悪心も悪事もあるなり、然る間だよき僧あしき僧を差別し思ふこと無ふして、仏弟子なれば貴ひて、平等の心にて供養帰敬もせば必ず仏意に契ふて、利益もひろかるべし、亦冥機冥応顕機顕応等の四句あることを思ふべし、亦現生後報等の三時業のこともあり、是らの道理能々学すべきなり、
書き下し
僧ならば徳の有無を択らまず、只供養すべきなり、殊に其の外相を以て内徳の有無を決定すべからず、末世の比丘いさゝか外悪相尋常ならぬ処見ゆれども、亦是れにまされる悪心も悪事もあるなり、然る間だよき僧あしき僧を差別し思ふこと無ふして、仏弟子なれば貴ひて、平等の心にて供養帰敬もせば必ず仏意に契ふて、利益もひろかるべし、亦冥機冥応顕機顕応等の四句あることを思ふべし、亦現生後報等の三時業のこともあり、是らの道理能々学すべきなり、
現代語訳
僧であるなら徳の有無を選ばず、ただ供養すべきである。とりわけ、その外相をもって内なる徳の有無を決めつけてはならない。末世の比丘には、いささか外に悪い相が尋常でなく見えるところがあっても、また、それにまさる悪心も悪事もあるものである。であるから、よい僧・悪い僧と差別して思うことなく、仏弟子であるから貴んで、平等の心で供養し帰依するなら、必ず仏の御意に契って、利益も広いはずである。また、冥機冥応・顕機顕応などの四句があることを思うべきである。また現生・後報などの三時業のこともある。これらの道理をよくよく学ぶべきである。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻三一日示して云く、人は必す陰徳を修すべし、陰徳を修すれば、必す冥加顕益あるなり、設ひ泥木塑像の麁悪なりとも、仏像をは敬ふべし、黄巻赤軸の荒品なりとも、経教をは帰敬すべし、破戒無慚の僧侶なりとも、僧体をは仰信すべし、内心に信心を以て敬礼すれば、必ず顕福を蒙るなり、破戒無慚の僧、疎相の仏、麁品の経なればとて、不信無礼なれば必ず罰を蒙るなり、然あるべき如来の遺法にて、人天の福分となりたる仏像経巻僧侶なり、故に帰敬すれば必ず益あり、不信なれば罪を受るなりいかに希有に浅猿くとも、三宝の境界をは帰敬すべきなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻一問て云く、近代在家人、衆僧を供養し、仏法を帰敬するに、多く不吉のこと出来るに依て、邪見起り三宝に帰せじと思ふ、いかんと、答て云く、是は衆僧仏法の答にはあらず、便ち在家人自らの錯なり、其の故は、仮令人目ばかりに持戒持斎の僧をば貴び供養し、破戒無慚の飮酒食肉等するをば不当なりと思ふて供養せず、此の差別の心寔とに仏意にそむけり、故に帰敬の功もむなしく感応もなきなり、戒の中にも処々に此の心を誠めたり、
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『正法眼蔵随聞記』巻三俗すら猶かくの如く、民を思ふこと自身に超ねたり、況や仏子は如来の家風を受て、一切衆生を一子の如く憐むべし、我に属する侍者所従なればとて、呵噴し煩はすべからず、いかに況や同学等侶耆年宿老等をは、恭敬すること如来の如くすべしと戒文分明なり、然あれば今の学人も、人には色にいでゝ知られずとも、心の内に上下親疎を分たず、人の為によからんと思ふべきなり、大小の事につけ人を煩はしめ、人の心を破ること有るべからざるなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻一夜話に云く、今ま世出世間の人、多分は善事をなしては、かまへて人に知られんと思ひ、悪事を作して人に知られじと思ふ、是に依て内外不相応のこと出で来たる、あひかまへて内外相応じ、錯まりを悔ゐ、実徳をかくして、外相をかざらず好事をば他人にゆづり、悪事をば己れにむかふる志気あるべきなり、問て云く実徳を蔵し外相を飾らざらんこと、寔とに然るべし、但し仏菩薩は大悲利生を以て本とす、無智の道俗等外相の不善を見て是を謗り難せば、謗僧の罪を感ぜん、実徳を知らずとも、外相を見て貴とび供養せば、一分の福分たるべし、是らの斟酌いかなるべきぞ、
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『正法眼蔵随聞記』巻三況や納僧は是にこへたる心をもつべきなり、衆生を思ふ事親疎を分かたず、平等に済度の心を存し、世出世間の利益、すべて自利を思はず、人にも知られず、喜こびられずとも、只人の為によきことを心の中に作して、我れはかくの如くの心もちたると、人に知られざるなり、此の故実はまづ世を捨て身を捨つべきなり、我が身をだにも真実に捨てぬれば、人によく思はれんと謂ふ心は無きなり、然あればとて、亦人はなにとも思はば思へとて、悪しきことを行し、放逸ならんは、亦仏意に背くなり、只よき事を行し、人の為に善事をなして、代りを得んと思ひ、我が名を顕はさんと思はずして、真実無所得にして利生の事をなす、即ち吾我を離るゝ第一の用心なり、
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『正法眼蔵随聞記』巻四文に云く、ほめて白品の中にあるを善と云ふ、そしりて黒品の中におくを悪と云ふと、亦云く、苦を受くべきを悪と云ふ、楽をまねくべきを善と云ふと、かくの如く子細に分別して、真実の善を見て行し、真実の悪を見てすつべきなり、僧は清浄の中より来れるものなれば、人の欲を起すまじきものを以てよしとし、きよきとするなり、示して云く、