正法眼蔵随聞記 / 巻二
然あれば今夜死に明日死ぬべしと思ひ、あさましきことに逢ふたる思ひを作して、切にはげまし志しをすゝむるに、悟りを得ずと云ふことなきなり、中々世智辨聰なるよりも、鈍根なるやうにて、切なる志しを發する人、速に悟りを得るなり、如來在世の周梨槃特のごときは、一偈を讀誦することも難かりしかども、根性切なるによりて一夏に證を取りき、只今ばかり我か命は存ずるなり、死なざる先きに悟を得んと切に思ふて、佛法を學せんに、一人も得ざるはあるべからざるなり、
新字:然あれば今夜死に明日死ぬべしと思ひ、あさましきことに逢ふたる思ひを作して、切にはげまし志しをすゝむるに、悟りを得ずと云ふことなきなり、中々世智弁聰なるよりも、鈍根なるやうにて、切なる志しを発する人、速に悟りを得るなり、如来在世の周梨槃特のごときは、一偈を読誦することも難かりしかども、根性切なるによりて一夏に證を取りき、只今ばかり我か命は存ずるなり、死なざる先きに悟を得んと切に思ふて、仏法を学せんに、一人も得ざるはあるべからざるなり、
書き下し
然あれば今夜死に明日死ぬべしと思ひ、あさましきことに逢ふたる思ひを作して、切にはげまし志しをすゝむるに、悟りを得ずと云ふことなきなり、中々世智弁聰なるよりも、鈍根なるやうにて、切なる志しを発する人、速に悟りを得るなり、如来在世の周梨槃特のごときは、一偈を読誦することも難かりしかども、根性切なるによりて一夏に證を取りき、只今ばかり我か命は存ずるなり、死なざる先きに悟を得んと切に思ふて、仏法を学せんに、一人も得ざるはあるべからざるなり、
現代語訳
であるから、今夜死に明日死ぬはずだと思い、情けないことに逢ったという思いをなして、切に励まし志を進めるならば、悟りを得ないということはないのである。かえって世知にたけ弁が立つよりも、鈍い者のようであって切なる志を起こす人が、速やかに悟りを得るのである。如来在世の周梨槃特のような者は、一つの偈を読誦することも難しかったけれども、根性が切であったことによって、一夏の間に証を取った。ただ今ばかり自分の命は存している。死なないうちに悟りを得ようと切に思って仏法を学ぶならば、一人として得られない者はあるはずがないのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・盡心章句上公孫丑曰く、「伊尹曰く、『予、不順に狎れしめず。』太甲を桐に放ち、民大いに悅ぶ。太甲賢となる。又之を反し、民大いに悅ぶ。賢者の人臣為るや、其の君、賢ならざれば、則ち固より放つ可きか。」孟子曰く、「伊尹の志有れば、則ち可なり。伊尹の志無ければ、則ち篡うなり。」
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荀子・大略篇公行子之(こうこうしし)、燕(えん)に之(ゆ)き、曾元(そうげん)に塗(みち)に遇(あ)ひて曰く、「燕君(えんくん)は何如(いかん)」と。曾元曰く、「志(こころざし)卑(ひく)し。志卑き者は物を軽んじ、物を軽んずる者は助けを求めず。苟(いやしく)も助けを求めずんば、何ぞ能(よ)く挙(あ)がらん。氐羌(ていきょう)の虜(とりこ)たるや、其の係累(けいるい)せらるるを憂へずして、其の焚(や)かれざるを憂ふ。夫(か)の秋毫(しゅうごう)を利として、国家を害(そこな)ひ靡(ほろぼ)す、然も且(か)つ之を為す、幾(あ)に知計(ちけい)を為すと為さんや」と。
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史記 伯夷列伝子曰く、「道同じからざれば相ひ為に謀らず」と。亦た各々其の志に従ふなり。故に曰く、「富貴もし求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従はん」と。「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知る」。世を挙げて混濁して、清士乃ち見はる。豈に其の重んずること彼の若く、其の軽んずること此くの若くなるを以てせんや。
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論語・里仁篇子曰わく、いやしくも仁に志せば、悪しきこと無し。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「名を好むの人は、能く千乘の國を讓る。苟くも其の人に非ざれば、簞食豆羹も色に見わる。」
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葉隠・聞書第一一度打向へば、最早(もはや)其の道に入りたるなり。名人も人なり、我も人なり、何しに劣るべきかと思ひて、一度志すところが即ち聖人なり。後(のち)に修行して聖人に成り給ふにはあらず。十有五にして学に志すとは、即ち聖人なり。初発心時(しょほっしんじ)辨成正覚(べんじょうしょうがく)ともこれあるなり。