正法眼蔵随聞記 / 巻二
一日示して云く、治世の法は上み天子より下も庶民に到るまで、各皆な其の官に居する者は其の業を修す、其の人にあらずして其の官に居するを亂天の事と云ふ、政道が天意に合ふ時は、世すみ民やすきなり、故に帝は三更の三點に起させ給ひて、治世の時としましませり、たやすからざることなり、佛の法も只職のかはり業の異なるばかりなり、國王は自ら思量を以て政道をはからひ、先規をかんがへ、有道の臣を覓めて、政ごと天意に相合ふ時、是を治世と云ふなり、若し是を怠れば、天に背き世は亂れ民苦るしむなり、其れより以下、諸の公卿大夫士庶民、皆各の司どる所の業あり、其れに順ふて人とは云なり、其れに背くは天事を亂る、故に天の刑を蒙るなり、
新字:一日示して云く、治世の法は上み天子より下も庶民に到るまで、各皆な其の官に居する者は其の業を修す、其の人にあらずして其の官に居するを乱天の事と云ふ、政道が天意に合ふ時は、世すみ民やすきなり、故に帝は三更の三点に起させ給ひて、治世の時としましませり、たやすからざることなり、仏の法も只職のかはり業の異なるばかりなり、国王は自ら思量を以て政道をはからひ、先規をかんがへ、有道の臣を覓めて、政ごと天意に相合ふ時、是を治世と云ふなり、若し是を怠れば、天に背き世は乱れ民苦るしむなり、其れより以下、諸の公卿大夫士庶民、皆各の司どる所の業あり、其れに順ふて人とは云なり、其れに背くは天事を乱る、故に天の刑を蒙るなり、
書き下し
一日示して云く、治世の法は上み天子より下も庶民に到るまで、各皆な其の官に居する者は其の業を修す、其の人にあらずして其の官に居するを乱天の事と云ふ、政道が天意に合ふ時は、世すみ民やすきなり、故に帝は三更の三点に起させ給ひて、治世の時としましませり、たやすからざることなり、仏の法も只職のかはり業の異なるばかりなり、国王は自ら思量を以て政道をはからひ、先規をかんがへ、有道の臣を覓めて、政ごと天意に相合ふ時、是を治世と云ふなり、若し是を怠れば、天に背き世は乱れ民苦るしむなり、其れより以下、諸の公卿大夫士庶民、皆各の司どる所の業あり、其れに順ふて人とは云なり、其れに背くは天事を乱る、故に天の刑を蒙るなり、
現代語訳
ある日示して言われた。世を治める法は、上は天子から下は庶民に至るまで、それぞれみな、その官に居る者はその務めを修める。その任にある人でないのにその官に居るのを、天を乱す事と言う。政道が天意に合う時は、世は澄み民は安らかである。だから帝は三更の三点に起きられて、世を治める時としておられた。たやすいことではない。仏の法もただ、職が変わり業が異なるばかりである。国王は自ら思量をもって政道を計らい、先例を考え、道ある臣を求めて、政が天意に合う時、これを治世と言うのである。もしこれを怠れば、天に背き、世は乱れ、民は苦しむのである。それより以下、諸々の公卿・大夫・士・庶民、みなそれぞれ司るところの務めがある。それに順ずることを人と言うのである。それに背くのは天の事を乱すことである。だから天の罰を蒙るのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第四十八扨また諸人の批判には、さいげんなき法花坊機にあがらん、又はあぶられんとのさた也、奉行衆も此以前岩村田法華坊主、何にても證拠なきさへ以て御分国をはらはるゝ、まして是は大方の御成敗にては有間敷、いそぎ改め出し、日記に付、言上申べしとて書立を以て申上る、
-
『政談』諸役人職分支配を分つ事譬へは国境郷村の境山垂れ等分明ならす、度々所々の公事絶ゆることなし、是兼ねて其の所を支配する人明かに我か支配を知らぬ故なり、其の支配所を知りて事出つへき所は下より申し出てすとも、申し立てゝ御当家の御定めありたきことなり、御当家の御定め無きに遠国の事を在江戸の奉行之を捌かんとするとも詮方なし、これによりてかろきみのう撿使につかはせはかりもの格を取証拠無けれは捌かれぬ故小田原又は信玄又は信長公又は太閤なとのときの奉行の書物を証拠とす、これは先方の時分にて惣体の模様違ひたる時代を証拠に引くこと埓もなきことなり、或は室町家或は鎌倉或は往古の綸旨等を証拠に引くも年数遥かに隔りて埓もなきことは、是れ皆奉行をする面々兎角何ことも先例を引き付けたるくせにて引くましき先例を引く也、是れ皆御当家の御定めなき故也、
-
『春秋左氏伝』昭公二十六年 王子朝の檄文天周を弔(あはれ)まず、王昏くして若(したが)はず、用って厥の位を愆(うしな)ふ。攜王(けいおう)命を奸(をか)す。諸侯之を替へて、王嗣を建て、用って郟鄏(こうじょく)に遷る。則ち是れ兄弟の能く力を王室に用ふるなり。惠王に至り、天周を靖んぜず、頹に禍心を生じ、叔帶に施(およ)ぶ。惠・襄難を辟け、王都を越え去る。則ち晉・鄭有りて、咸(みな)不端を黜け、以って王家を綏定す。則ち是れ兄弟の能く先王の命に率ふなり。定王の六年に在りて、秦人妖を降して曰く、『周其れ髭王有らん。亦た克く其の職を脩め、諸侯服享し、二世職を共にせん。王室其れ王位を間(うかが)ふもの有らん。諸侯圖らずして、其の亂災を受けん』と。靈王に至り、生まれながらにして髭有り。王甚だ神聖にして、諸侯に惡まるること無し。靈王・景王、克く其の世を終ふ。今王室亂る。單旗・劉狄、天下を剝亂し、壹に若はざるを行ひ、謂ふ、『先王何の常か之れ有らん。唯だ余が心の命ずる所なり。其れ誰か敢へて之を請はん』と。群不弔の人を帥ゐて、以って亂を王室に行ひ、侵欲厭くこと無く、規求度無し。
-
尚書・周官古に學びて官に入り、事を議するに制を以てすれば、政乃ち迷わず。
-
『政談』戶籍の事当時も紀州水戸にては人かへしあり、肥前なとにては出家にても他国へゆき十年かへらねは親類みな刑せらると承はる、薩摩其外九州は多くは国中の民を外へは出たさす、当時これある例なれは地頭の威勢を以て呼ひかへさんにはたやすくなるへきことなり、当時諸国の民耕作を厭ひ、米の飯を喜ひ、百姓を棄て商人になる故に衰微したる村々多きこと度々承ることなり、されは地頭のためにも実は甚だよきことなれとも、いつれも文盲なる故この合点行かす、世界は斯の如く成り下りたるなり、
-
『墨子』耕柱公孟子曰く、「先人に則有り、三のみ」と。子墨子曰く、「孰れか先人にして則有ること三のみと曰わん。子は未だ人の先に有りて後に生ずるを知らざるなり」と。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る