正法眼蔵随聞記 / 巻一
亦云く、今の斬猫は是便ち佛法の大用現前なり、或は一轉語なり、若一轉語にあらずば、山河大地妙淨明心と云べからす、亦卽心是佛とも云べからず、便ち此一轉語の言下にて猫兒卽佛身と見よ、亦此詞を聽て學人も頓に悟入すべし、
新字:亦云く、今の斬猫は是便ち仏法の大用現前なり、或は一転語なり、若一転語にあらずば、山河大地妙浄明心と云べからす、亦即心是仏とも云べからず、便ち此一転語の言下にて猫児即仏身と見よ、亦此詞を聴て学人も頓に悟入すべし、
書き下し
亦云く、今の斬猫は是便ち仏法の大用現前なり、或は一転語なり、若一転語にあらずば、山河大地妙浄明心と云べからす、亦即心是仏とも云べからず、便ち此一転語の言下にて猫児即仏身と見よ、亦此詞を聴て学人も頓に悟入すべし、
現代語訳
また言われた。今の斬猫は、すなわち仏法の大用が現前したものである。あるいは一転語である。もし一転語でないならば、山河大地がそのまま妙浄明心であるとも言えず、また即心是仏とも言えない。すぐさまこの一転語の言葉のもとで、猫がそのまま仏身であると見よ。またこの言葉を聞いて、学人もたちまち悟入すべきである。
解説
斬猫という荒々しい行為を、仏法のはたらきが現れた一語として読む。一転語は聞く者の見方をひっくり返す一言のことである。山河大地が妙浄明心であるという言い方を認めるなら、猫が仏身であることも同じく認めねばならない、と論理を通しているところが特徴で、暴力の是非ではなく見方の一貫性を問うている。都合のよいところだけで言い換えを使うな、ということでもある。
この章句が説くこと
大用現前一転語悟り即心是仏山河大地公案
関連する章句
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