正法眼蔵随聞記 / 巻二
一日示して云く、人の利鈍と云ふは志しの到らざる時のことなり、世間の人の馬より落る時、いまた地におちざる間に、種種の思ひ起る、身をも損じ命ちをも失するほどの大事出來る時は、誰人も才學念慮を廻すなり、其時は利根も鈍根も同くものを思ひ義を案ずるなり、
新字:一日示して云く、人の利鈍と云ふは志しの到らざる時のことなり、世間の人の馬より落る時、いまた地におちざる間に、種種の思ひ起る、身をも損じ命ちをも失するほどの大事出来る時は、誰人も才学念慮を廻すなり、其時は利根も鈍根も同くものを思ひ義を案ずるなり、
書き下し
一日示して云く、人の利鈍と云ふは志しの到らざる時のことなり、世間の人の馬より落る時、いまた地におちざる間に、種種の思ひ起る、身をも損じ命ちをも失するほどの大事出来る時は、誰人も才学念慮を廻すなり、其時は利根も鈍根も同くものを思ひ義を案ずるなり、
現代語訳
ある日示して言われた。人の利発と鈍さというのは、志が至らない時のことである。世間の人が馬から落ちる時、まだ地面に落ちない間に、種々の思いが起こる。身を損ない命を失うほどの大事が出てくる時は、誰でも才覚と思慮をめぐらすのである。その時は、利根も鈍根も同じように物を思い、筋道を考えるのである。
解説
落馬して地面に着くまでの一瞬という例が鮮やかである。その間に誰もが必死で考えるという事実をもって、能力の差が志の差にすぎないことを示す。差が消えるのは切迫した時だという観察で、才の有無を論ずるなという前の条の主張に、具体的な根拠を与えている。追い詰められた人は、みな同じ速さで考える。ふだんの差は、切実さの差でしかない。
この章句が説くこと
利鈍志切迫才思慮落馬
関連する章句
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啓発録・跋嗚呼如何せん、吾身刀圭の家に生れ、賤技に局々として、吾初年の志を遂る事を不得を。然れども所業は此に在りても、所志は彼に在り候へは、後世吾心を知り吾志を憐み吾道を信ずる者あらん歟。嘉永戊申季夏橋本左内誌。
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