正法眼蔵随聞記 / 巻四
亦云く、南陽ノ忠國師、問紫燐供奉一、甚ノ處ヨッ來ル、奉云、城南ヨリ來ル、師云、城南ノ艸作一何ノ色ヲ、奉云、作黃色、師乃ヲ問童子、城南ノ艸作何ノ色ヲカ、子云、作黃色、師云、祇這ノ童子モ亦可ニ簾前ニ賜レート對御談ブ玄ヲ、しかあれば、童子も國皇の師として眞色を答ふべし、汝が見所常途に超えずとなり、
新字:亦云く、南陽ノ忠国師、問紫燐供奉一、甚ノ処ヨッ来ル、奉云、城南ヨリ来ル、師云、城南ノ艸作一何ノ色ヲ、奉云、作黄色、師乃ヲ問童子、城南ノ艸作何ノ色ヲカ、子云、作黄色、師云、祇這ノ童子モ亦可ニ簾前ニ賜レート対御談ブ玄ヲ、しかあれば、童子も国皇の師として真色を答ふべし、汝が見所常途に超えずとなり、
書き下し
亦云く、南陽ノ忠国師、問紫燐供奉一、甚ノ処ヨッ来ル、奉云、城南ヨリ来ル、師云、城南ノ艸作一何ノ色ヲ、奉云、作黄色、師乃ヲ問童子、城南ノ艸作何ノ色ヲカ、子云、作黄色、師云、祇這ノ童子モ亦可ニ簾前ニ賜レート対御談ブ玄ヲ、しかあれば、童子も国皇の師として真色を答ふべし、汝が見所常途に超えずとなり、
現代語訳
また言われた。南陽の慧忠国師が紫璘供奉に問うた。どの処より来たのか。供奉が言った。城南より来ました。師が言った。城南の草はどんな色をしているか。供奉が言った。黄色をしております。師はそこで童子に問うた。城南の草はどんな色をしているか。子が言った。黄色をしております。師が言った。この童子もまた簾前に紫を賜り、御前で玄を談ずることができよう、と。であるから、童子も国王の師として真色を答えるべきである。おまえの見るところは常のものを超えていない、というのである。
解説
紫璘供奉は帝の前で講説する栄誉ある学僧である。その答えと、寺の童子の答えが同じだったという場面で、慧忠は童子でも供奉になれると言った。学識ある者の答えが童子と変わらないという皮肉であり、位が見識を保証しないことを示す。前条の、自解に執するなという教えの実例になっている。
この章句が説くこと
自解見識位問答南陽慧忠供奉
関連する章句
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風姿花伝・第三 問答条々問、能に位の差別を知る事如何。答、これ目利の眼にはやすく見ゆるなり。凡そ位のあがるとは、能の重々の事なれども、ふしぎに十ばかりの能者にも、この位おのれとあがれる風体あり。但し稽古なからむには、おのれとあがる位ありともいたづら事なり。先づ稽古の劫入りて位のあらむは、常のことなり。また生得あがる位とは長なり。嵩と申すは別の事なり。多く人、長と嵩とを同じやうに思ふなり。嵩と申すは、ものものしくせのある形なり。またいふ、嵩は一切にわたる義なり。位長には別の物なり。たとへば、生得幽玄なる所ある、これ上の位か。然れども、さらに幽玄にはなき仕手の、長のあるもあり。これは幽玄ならぬ長なり。また初心の人思ふべし。稽古に上の位を心がけんは、返々かなふまじ。位はいよいよかなはで、あまさへ稽古しける分もさがるべし。所詮、位長のあがらんことは、かくべつの心得ありて得ずしては、大方かなふまじ。また稽古の劫入りて垢落ちぬれば、この位おのれと出来ることあり。稽古とは、音曲、舞、はたらき、物まね、かやうの品々をきはむる形木なり。よくよく工夫して思ふに、幽玄の位は生得の物か、闌けたる位は劫入りたるところか、心中に案をめぐらすべし。
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論語・憲問篇曾子曰く、君子は思うこと其の位を出でず。
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易経・彖伝帰妹(きまい)は、天地の大義なり。天地交わらざれば、万物興らず。帰妹は、人の終始なり。説(よろこ)びて以て動く、帰(とつ)ぐ所は妹(まい)なり。「征けば凶」とは、位当たらざればなり。「利(よ)ろしき攸(ところ)なし」とは、柔の剛に乗ればなり。
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『管子』形勢墜岸三仞は、人の大いに難しとする所なり、而して猿猱は焉に飲む。故に曰く、伐矜專を好むは、事を舉ぐるの禍なり。其の野を行かざれば、其の馬に違わず。能く予えて取ること無き者は、天地の配なり。怠倦なる者は及ばず、廣むる無き者は神を疑う。神なる者は内に在り、及ばざる者は門に在り。内に在る者は將に假さんとし、門に在る者は將に待たんとす。曙に戒めて怠る勿かれ、後れ穉ければ殃に逢う。朝に其の事を忘るれば、夕べに其の功を失う。邪氣内に入れば、正色乃ち衰う。君君たらざれば則ち臣臣たらず、父父たらざれば則ち子子たらず。上其の位を失えば則ち下其の節を踰え、上下和せざれば、令乃ち行われず。衣冠正しからざれば則ち賓者肅まず、進退儀無ければ則ち政令行われず、且つ懷け且つ威あらば則ち君道備わる。
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