正法眼蔵随聞記 / 巻一
誰人か初めより道心ある、只かくの如く發し難きを發し、行じがたきを行すれば、自然に增進するなり、人々皆な佛性あり、徒らに卑下すること莫れ、亦文選に云、一國、爲ニ一人ノ興レ先賢ハ爲ニ後愚一廢と、言ふこゝろは、國に賢者一人出來れば其の國興る、愚人ひとり出來れば先賢のあと廢るゝなり、是を思ふべし、
新字:誰人か初めより道心ある、只かくの如く発し難きを発し、行じがたきを行すれば、自然に增進するなり、人々皆な仏性あり、徒らに卑下すること莫れ、亦文選に云、一国、為ニ一人ノ興レ先賢ハ為ニ後愚一廃と、言ふこゝろは、国に賢者一人出来れば其の国興る、愚人ひとり出来れば先賢のあと廃るゝなり、是を思ふべし、
書き下し
誰人か初めより道心ある、只かくの如く発し難きを発し、行じがたきを行すれば、自然に增進するなり、人々皆な仏性あり、徒らに卑下すること莫れ、亦文選に云、一国、為ニ一人ノ興レ先賢ハ為ニ後愚一廃と、言ふこゝろは、国に賢者一人出来れば其の国興る、愚人ひとり出来れば先賢のあと廃るゝなり、是を思ふべし、
現代語訳
誰が初めから道心を持っていようか。ただこのように、起こしがたいものを起こし、行じがたいものを行ずれば、自然に進んでいくのである。人々はみな仏性がある。いたずらに卑下してはならない。また『文選』に言う、一国は一人の興るによって先賢となり、一人の廃るによって後の愚となる、と。言う心は、国に賢者が一人出てくればその国は興り、愚人が一人出てくれば先賢の跡が廃れるということである。これを思うべきである。
解説
初めから道心のある者などいないという一句が、前条の問いを根元から解いている。難しいことを難しいまま始めれば自然に進む、という順序である。そのうえで、人々みな仏性ありと言い、卑下を退ける。最後に文選を引いて、一人の出方が国全体を左右すると言い添える。自分一人のことだと思っていた問題が、周囲に及ぶものとして返される。
この章句が説くこと
道心発心仏性卑下精進影響
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