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正法眼蔵随聞記 / 巻一

先師天童淨和尙住持のとき、僧堂にて衆僧坐禪の時、眠りを誠しむるに履を以て打ち、謗言呵嘖せしかども、衆僧皆打たるゝを喜び讚歎しき、有時亦上堂の次でに云く、我れ既に老後、今は衆を辭し、菴に住して、老を扶けて居るべけれども、衆の知識として、各の迷を破り道を授けんがために住持人たり、是に依て或は呵嘖の詞ばを出し、竹箆打擲等のことを行ず、是頗る怖れあり、然あれども佛に代て化儀を揚る式なり、諸兄弟慈悲を以て是を許し給へと言へば、衆僧皆流涕しき、

新字:先師天童浄和尚住持のとき、僧堂にて衆僧坐禅の時、眠りを誠しむるに履を以て打ち、謗言呵嘖せしかども、衆僧皆打たるゝを喜び讃嘆しき、有時亦上堂の次でに云く、我れ既に老後、今は衆を辞し、菴に住して、老を扶けて居るべけれども、衆の知識として、各の迷を破り道を授けんがために住持人たり、是に依て或は呵嘖の詞ばを出し、竹箆打擲等のことを行ず、是頗る怖れあり、然あれども仏に代て化儀を揚る式なり、諸兄弟慈悲を以て是を許し給へと言へば、衆僧皆流涕しき、

書き下し

先師天童浄和尚住持のとき、僧堂にて衆僧坐禅の時、眠りを誠しむるに履を以て打ち、謗言呵嘖せしかども、衆僧皆打たるゝを喜び讃嘆しき、有時亦上堂の次でに云く、我れ既に老後、今は衆を辞し、菴に住して、老を扶けて居るべけれども、衆の知識として、各の迷を破り道を授けんがために住持人たり、是に依て或は呵嘖の詞ばを出し、竹箆打擲等のことを行ず、是頗る怖れあり、然あれども仏に代て化儀を揚る式なり、諸兄弟慈悲を以て是を許し給へと言へば、衆僧皆流涕しき、

現代語訳

先師天童如浄和尚が住持であったとき、僧堂で衆僧が坐禅している際、居眠りを戒めるのに履物で打ち、そしり叱ったけれども、衆僧は皆、打たれることを喜び讃嘆した。あるとき、また上堂のついでに言われた。わたしはすでに老いた身であるから、今は衆を辞して庵に住み、老いを養って居るべきであるけれども、衆の善知識として、それぞれの迷いを破り道を授けるために住持の人となっている。それゆえ、あるいは叱責の言葉を出し、竹箆で打つなどのことを行う。これはたいそう恐れ多いことである。しかしながら、仏に代わって教化の作法を掲げるためのやり方である。諸兄弟よ、慈悲をもってこれを許したまえ、と言われたので、衆僧は皆、涙を流した。

解説

前条で述べた線引きが実際に成り立っていた例として、師の如浄が引かれる。打たれた側が喜んだという事実と、打った側が公けに詫びたという事実が並べて記される。恐れがあると自ら言い、それでも仏に代わって行うのだと断ったうえで許しを乞う。厳しさが成り立つには、厳しくする側の自覚と説明が要るという構図がはっきり示されている。

この章句が説くこと

指導慈悲叱責住持坐禅如浄

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