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正法眼蔵随聞記 / 巻五

時に裝問て云く、眞實求法の爲には、有爲の父母師匠の思愛の障緣を一向にすつべき道理はまことに然かあるべし、但し父母師匠の恩愛等のかたは一向に捨離すとも、亦菩薩の行を存せん時は、自利をさしおきて利他を先とすべきか、然あるに老師重病切にして、亦他人のたすくべきもなく、幸に保護の我れ一人其の仁に當りたるを、自らの修行ばかりを思ひて、渠を扶けずんば、菩薩の行に背けるに似たるか、たゞ大士の善行をきらふべからず、緣に隨ひ事に觸れて佛法を存すべきか、もしこれらの道理によらば、亦止りてたすくべきか、何ぞ獨り求法を思ひて老病の師を扶けざるや、いかん、

新字:時に装問て云く、真実求法の為には、有為の父母師匠の思愛の障縁を一向にすつべき道理はまことに然かあるべし、但し父母師匠の恩愛等のかたは一向に捨離すとも、亦菩薩の行を存せん時は、自利をさしおきて利他を先とすべきか、然あるに老師重病切にして、亦他人のたすくべきもなく、幸に保護の我れ一人其の仁に当りたるを、自らの修行ばかりを思ひて、渠を扶けずんば、菩薩の行に背けるに似たるか、たゞ大士の善行をきらふべからず、縁に随ひ事に触れて仏法を存すべきか、もしこれらの道理によらば、亦止りてたすくべきか、何ぞ独り求法を思ひて老病の師を扶けざるや、いかん、

書き下し

時に装問て云く、真実求法の為には、有為の父母師匠の思愛の障縁を一向にすつべき道理はまことに然かあるべし、但し父母師匠の恩愛等のかたは一向に捨離すとも、亦菩薩の行を存せん時は、自利をさしおきて利他を先とすべきか、然あるに老師重病切にして、亦他人のたすくべきもなく、幸に保護の我れ一人其の仁に当りたるを、自らの修行ばかりを思ひて、渠を扶けずんば、菩薩の行に背けるに似たるか、たゞ大士の善行をきらふべからず、縁に随ひ事に触れて仏法を存すべきか、もしこれらの道理によらば、亦止りてたすくべきか、何ぞ独り求法を思ひて老病の師を扶けざるや、いかん、

現代語訳

その時、懐奘が問うて言った。真実に法を求めるためには、有為の父母や師匠の恩愛という障りの縁を一向に捨てるべき道理は、まことにそうあるべきでしょう。ただし父母師匠の恩愛などの側を一向に捨て離れるとしても、また菩薩の行を保とうとする時は、自利をさしおいて利他を先とすべきではないでしょうか。ところが老いた師が重病が切迫して、また他人で助けるべき者もなく、幸いに世話をする自分一人がその役に当たっているのを、自らの修行ばかりを思って、その人を助けないならば、菩薩の行に背いているのに似ているのではないでしょうか。ただ大士の善行を嫌うべきではありません。縁に随い事に触れて仏法を保つべきではないでしょうか。もしこれらの道理によるならば、また留まって助けるべきではないでしょうか。どうして独り求法を思って、老いて病んだ師を助けないのですか、いかがですか。

解説

師の判断を讃えて終わらせず、懐奘が反論を出す。しかも利他を先とすべきだという、仏教の内側の論理で切り返している。自分一人がその役に当たっているという状況の特殊さも押さえられており、一般論では片づかない問いになっている。答えは次の条にある。

この章句が説くこと

利他自利菩薩恩愛求法問答

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