正法眼蔵随聞記 / 巻六
俗すら猶ほ一道を專らに嗜むものは、田苑莊園等を持することを要とせず、只一切國土の人を百姓眷屬とするなり、相法橋遺囑子息、たゞすべからく當道をもつぱらはげますべしと云へり、況や佛子は萬事を捨て、專ら一事を嗜むべし、是れ第一の用心なり、
新字:俗すら猶ほ一道を専らに嗜むものは、田苑荘園等を持することを要とせず、只一切国土の人を百姓眷属とするなり、相法橋遺囑子息、たゞすべからく当道をもつぱらはげますべしと云へり、況や仏子は万事を捨て、専ら一事を嗜むべし、是れ第一の用心なり、
書き下し
俗すら猶ほ一道を専らに嗜むものは、田苑荘園等を持することを要とせず、只一切国土の人を百姓眷属とするなり、相法橋遺囑子息、たゞすべからく当道をもつぱらはげますべしと云へり、況や仏子は万事を捨て、専ら一事を嗜むべし、是れ第一の用心なり、
現代語訳
俗人でさえ、なお一つの道をもっぱらに嗜む者は、田畑や荘園などを持つことを必要としない。ただ一切の国土の人を百姓や眷属とするのである。相法橋が子息に遺言して、ただすべからくこの道をもっぱらに励むべきである、と言った。まして仏子は万事を捨てて、もっぱら一事を嗜むべきである。これが第一の心得である。
解説
一芸に徹する者は土地を持たなくてよい、その道が通じるかぎり国じゅうの人が支えてくれるからだ、という考え方。所有ではなく専心が身を養うという逆立ちした安心が語られている。相法橋の遺言を引き、僧はなおさらだと結んで、この条を第一の用心と呼ぶ。
この章句が説くこと
専一無用所有遺言一事道
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