正法眼蔵随聞記 / 巻一
問て云く、近代在家人、衆僧を供養し、佛法を歸敬するに、多く不吉のこと出來るに依て、邪見起り三寶に歸せじと思ふ、いかんと、答て云く、是は衆僧佛法の答にはあらず、便ち在家人自らの錯なり、其の故は、假令人目ばかりに持戒持齋の僧をば貴び供養し、破戒無慚の飮酒食肉等するをば不當なりと思ふて供養せず、此の差別の心寔とに佛意にそむけり、故に歸敬の功もむなしく感應もなきなり、戒の中にも處々に此の心を誠めたり、
新字:問て云く、近代在家人、衆僧を供養し、仏法を帰敬するに、多く不吉のこと出来るに依て、邪見起り三宝に帰せじと思ふ、いかんと、答て云く、是は衆僧仏法の答にはあらず、便ち在家人自らの錯なり、其の故は、仮令人目ばかりに持戒持斎の僧をば貴び供養し、破戒無慚の飮酒食肉等するをば不当なりと思ふて供養せず、此の差別の心寔とに仏意にそむけり、故に帰敬の功もむなしく感応もなきなり、戒の中にも処々に此の心を誠めたり、
書き下し
問て云く、近代在家人、衆僧を供養し、仏法を帰敬するに、多く不吉のこと出来るに依て、邪見起り三宝に帰せじと思ふ、いかんと、答て云く、是は衆僧仏法の答にはあらず、便ち在家人自らの錯なり、其の故は、仮令人目ばかりに持戒持斎の僧をば貴び供養し、破戒無慚の飮酒食肉等するをば不当なりと思ふて供養せず、此の差別の心寔とに仏意にそむけり、故に帰敬の功もむなしく感応もなきなり、戒の中にも処々に此の心を誠めたり、
現代語訳
問うて言った。近ごろ在家の人が僧たちを供養し、仏法をうやまうのに、多く不吉なことが起こるので、邪見が起こって三宝に帰依すまいと思います。いかがでしょうか。答えて言われた。これは僧や仏法の答ではない。すなわち在家の人自身のあやまちである。その理由は、たとえば人目にだけ映る持戒持斎の僧を貴んで供養し、破戒無慚で酒を飲み肉を食うような者を不当だと思って供養しない。この差別の心が、まことに仏の御意に背いている。だから帰依の功も空しく、感応もないのである。戒の中にも所々でこの心を戒めている。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻一問て云く、破戒にして虚く人天の供養を受け、無道心にして徒に如来の福分を費やさんより、在家人に随ふて、在家の事をなして、命ながらへて能く修道せんこと如何ん、答て云く、誰か云ひし、破戒無道心なれと、只强て道心を発し、仏法を行ずべきなり、いかに況や持戒破戒を論せす、初心後心を分かたず、斉しく如来の福分を与ふとは見れたれども、破戒ならば還俗すべし、無道心ならば修行せざれとは見れず、
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『正法眼蔵随聞記』巻一僧ならば徳の有無を択らまず、只供養すべきなり、殊に其の外相を以て内徳の有無を決定すべからず、末世の比丘いさゝか外悪相尋常ならぬ処見ゆれども、亦是れにまされる悪心も悪事もあるなり、然る間だよき僧あしき僧を差別し思ふこと無ふして、仏弟子なれば貴ひて、平等の心にて供養帰敬もせば必ず仏意に契ふて、利益もひろかるべし、亦冥機冥応顕機顕応等の四句あることを思ふべし、亦現生後報等の三時業のこともあり、是らの道理能々学すべきなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻一夜話に云く、世人多く善事を作す時は、人に知られんと思ひ、悪事を作す時は、人に知られじと思ふに依て、此の心冥衆の心に合はざるに依て、所作の善事には感応なく、密に作す所の悪事には罰あるなり、是に仍て還て自ら謂く善事には験しなし、仏法の利益すくなしと思へるなり、是れ即ち邪見なり、最も改むべし、人も知らざる時に密に善事をなし、悪事を錯りて、後には発露してとがを悔ゆ、かくの如くすれば、便ち密々になす処の善事には感応あり露るゝ悪事は懺悔せられて、罪滅する故に、自然に現益もあるなり、当果をも亦知るべし、爰に有る在家人来りて、
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『正法眼蔵随聞記』巻一夜話に云く、今ま世出世間の人、多分は善事をなしては、かまへて人に知られんと思ひ、悪事を作して人に知られじと思ふ、是に依て内外不相応のこと出で来たる、あひかまへて内外相応じ、錯まりを悔ゐ、実徳をかくして、外相をかざらず好事をば他人にゆづり、悪事をば己れにむかふる志気あるべきなり、問て云く実徳を蔵し外相を飾らざらんこと、寔とに然るべし、但し仏菩薩は大悲利生を以て本とす、無智の道俗等外相の不善を見て是を謗り難せば、謗僧の罪を感ぜん、実徳を知らずとも、外相を見て貴とび供養せば、一分の福分たるべし、是らの斟酌いかなるべきぞ、
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『正法眼蔵随聞記』巻五示して云く、出家人は必ず人の施を受て喜ぶことなかれ、亦受ざることなかれ、故僧正の云く、人の供養を得て喜ぶは仏制にたがふ、喜ばざるは檀越の心にたがふ、此の故実用心は、我に供養するに非ず、三宝に供養するなり、かるがゆへに彼の返事には、此の供養は三宝定て納受有るべしと言ふべきなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻三一日示して云く、人は必す陰徳を修すべし、陰徳を修すれば、必す冥加顕益あるなり、設ひ泥木塑像の麁悪なりとも、仏像をは敬ふべし、黄巻赤軸の荒品なりとも、経教をは帰敬すべし、破戒無慚の僧侶なりとも、僧体をは仰信すべし、内心に信心を以て敬礼すれば、必ず顕福を蒙るなり、破戒無慚の僧、疎相の仏、麁品の経なればとて、不信無礼なれば必ず罰を蒙るなり、然あるべき如来の遺法にて、人天の福分となりたる仏像経巻僧侶なり、故に帰敬すれば必ず益あり、不信なれば罪を受るなりいかに希有に浅猿くとも、三宝の境界をは帰敬すべきなり、