正法眼蔵随聞記 / 巻五
時にかくのことく各の總評し了て、先師の云く各の評議、いづれもみな留まるべき道理ばかりなり、我れが所存は然あらず、今度留りたりとも、決定死ぬへき人ならば、其に依て命を保つべきにもあらす、亦我れ留りて看病外護せしによりたりとて、苦痛もやむべからす、亦後に我あつかひすゝめしによりて、生死を離れらるべき道理にもあらす、只一旦命に隨て師の心を慰むるばかりなり、是れ卽ち出離得道の爲には一切無用なり、錯て我が求法の志しを障へしめられは、罪業の因緣とも成ぬへし、然あるに若し入宋求法の志しをとげて、一分の悟りをも開きたらば一人有漏の迷情に背くとも、多人得道の因緣と成りぬへし、此の功德もしすぐればすなはちこれ師の恩をも報しつへし、設ひ亦渡海の間に死して本意をとげずとも、求法の志しを以て死せば、生々の願つきるべからす、玄奘三藏のあとや思ふへし、一人の爲にうしなひやすき時を空く過さんこと、佛意に合なふべからず、
新字:時にかくのことく各の総評し了て、先師の云く各の評議、いづれもみな留まるべき道理ばかりなり、我れが所存は然あらず、今度留りたりとも、決定死ぬへき人ならば、其に依て命を保つべきにもあらす、亦我れ留りて看病外護せしによりたりとて、苦痛もやむべからす、亦後に我あつかひすゝめしによりて、生死を離れらるべき道理にもあらす、只一旦命に随て師の心を慰むるばかりなり、是れ即ち出離得道の為には一切無用なり、錯て我が求法の志しを障へしめられは、罪業の因縁とも成ぬへし、然あるに若し入宋求法の志しをとげて、一分の悟りをも開きたらば一人有漏の迷情に背くとも、多人得道の因縁と成りぬへし、此の功徳もしすぐればすなはちこれ師の恩をも報しつへし、設ひ亦渡海の間に死して本意をとげずとも、求法の志しを以て死せば、生々の願つきるべからす、玄奘三蔵のあとや思ふへし、一人の為にうしなひやすき時を空く過さんこと、仏意に合なふべからず、
書き下し
時にかくのことく各の総評し了て、先師の云く各の評議、いづれもみな留まるべき道理ばかりなり、我れが所存は然あらず、今度留りたりとも、決定死ぬへき人ならば、其に依て命を保つべきにもあらす、亦我れ留りて看病外護せしによりたりとて、苦痛もやむべからす、亦後に我あつかひすゝめしによりて、生死を離れらるべき道理にもあらす、只一旦命に随て師の心を慰むるばかりなり、是れ即ち出離得道の為には一切無用なり、錯て我が求法の志しを障へしめられは、罪業の因縁とも成ぬへし、然あるに若し入宋求法の志しをとげて、一分の悟りをも開きたらば一人有漏の迷情に背くとも、多人得道の因縁と成りぬへし、此の功徳もしすぐればすなはちこれ師の恩をも報しつへし、設ひ亦渡海の間に死して本意をとげずとも、求法の志しを以て死せば、生々の願つきるべからす、玄奘三蔵のあとや思ふへし、一人の為にうしなひやすき時を空く過さんこと、仏意に合なふべからず、
現代語訳
その時、このようにそれぞれが総じて評議し終えて、先師が言われた。それぞれの評議は、どれもみな留まるべきだという道理ばかりである。わたしの所存はそうではない。このたび留まったとしても、決まって死ぬはずの人であるならば、それによって命を保てるのでもない。またわたしが留まって看病し外護したからといって、苦痛も止むはずがない。また後にわたしが世話をし勧めたからといって、生死を離れられる道理でもない。ただ一時の命に随って師の心を慰めるばかりである。これはすなわち迷いを離れ道を得るためには一切無用である。あやまってわたしの求法の志を妨げさせられるならば、罪業の因縁ともなるであろう。ところが、もし入宋求法の志を遂げて、一分の悟りをも開いたならば、一人の有漏の迷いの情に背くとしても、多くの人が道を得る因縁となるであろう。この功徳がもし勝れているならば、すなわちこれが師の恩をも報いることになろう。たとえまた渡海の間に死んで本意を遂げなかったとしても、求法の志をもって死ぬならば、生々の願は尽きるはずがない。玄奘三蔵の跡を思うべきである。一人のために失いやすい時を空しく過ごすことは、仏の御意に合うはずがない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
呂氏春秋・首時①聖人の事に於ける、緩なるに似て急に、遲きに似て速かに、以て時を待つ。王季歷困しみて死す。文王之を苦しみ、有た羑里の醜を忘れざれども、時未だ可ならざるなり。武王之に事え、夙夜懈らざりしも、亦た玉門の辱を忘れず。立ちて十二年にして、甲子の事を成せり。時は固に得易からざるなり。太公望は東夷の士なり。一世を定めんと欲すれども其の主無し。文王の賢なるを聞き、故らに渭に釣りして以て之を觀る。
-
『正法眼蔵随聞記』巻四必ず須からくこれ琢磨し練磨すべし、自ら卑下して学道をゆるくすることなかれ、古人の云く、光陰空くわたることなかれと、今問ふ、時光は惜むによりてとゞまるか、惜めどもとゞまらざるか、すべからくしるべし、時光は空くわたらず、人は空くわたることを、人も時光とおなじくいたづらに過すことなく、切に学道せよと云ふなり、かくのごとく参究を同心にすべし、我れ独り挙揚するも、容易にするにあらざれども、仏祖行道の儀、大綱みなかくの如くなり、如来の開示に随ひて得道するもの多けれども、亦阿難によりて悟道する人もありき、新首座非器なりと卑下することなかれ、洞山の麻三斤を挙揚して同衆に示すへしと云て、座を下て後ち、再び鼓を鳴らして、首座秉払す、是れ興聖最初の秉払なり、懐奘三十九の歳なり、
-
呂氏春秋・審時①凡そ農の道は、時に厚きを寶と為す。木を斬ること時ならざれば、折れずんば必ず穗く。稼就って穫らざれば、必ず天の菑いに遇う。夫れ稼は之を為す者は人なり、之を生ずる者は地なり、之を養う者は天なり。是を以て人之を稼するに足を容れ、之を耨るに耨を容れ、之を據うに手を容る。此を之れ耕道と謂う。
-
孫子・火攻篇火を行うには必ず因有り、烟火は必ず素より具う。火を発するに時有り、火を起こすに日有り。
-
『管子』乘馬時の事に處るや精なり、藏めて舍く可からざるなり。故に曰く、今日為さざれば、明日貨を亡うと。昔の日已に往きて來たらざるなり。
-
易経・彖伝艮(ごん)は、止まるなり。時、止まるべくんば則ち止まり、時、行くべくんば則ち行き、動静其の時を失わざれば、其の道光明なり。「其の止まるに艮(とど)まる」とは、其の所に止まるなり。上下敵応して、相い与(くみ)せざるなり。是を以て「其の身を獲(え)ず、其の庭に行きて、其の人を見ず、咎(とが)なし」となり。