正法眼蔵随聞記 / 巻二
かくの如くなる故に、佛法は衰へ行くなり、諸方佛法の盛んなりし時は、叢林皆坐禪を專らにせしなり、近代諸方坐禪を勸めざれは、佛法澆薄しゆくなりと、かくの如くの道理を以て、衆僧をすゝめて坐禪せしめられしこと、まのあたり是れを見しなり、今の學人も彼の風を思ふべし、
新字:かくの如くなる故に、仏法は衰へ行くなり、諸方仏法の盛んなりし時は、叢林皆坐禅を専らにせしなり、近代諸方坐禅を勧めざれは、仏法澆薄しゆくなりと、かくの如くの道理を以て、衆僧をすゝめて坐禅せしめられしこと、まのあたり是れを見しなり、今の学人も彼の風を思ふべし、
書き下し
かくの如くなる故に、仏法は衰へ行くなり、諸方仏法の盛んなりし時は、叢林皆坐禅を専らにせしなり、近代諸方坐禅を勧めざれは、仏法澆薄しゆくなりと、かくの如くの道理を以て、衆僧をすゝめて坐禅せしめられしこと、まのあたり是れを見しなり、今の学人も彼の風を思ふべし、
現代語訳
このようであるから、仏法は衰えていくのである。諸方で仏法が盛んであった時は、叢林はみな坐禅を専らにしたのである。近ごろ諸方で坐禅を勧めないので、仏法は薄れていくのである、と。このような道理をもって、僧たちを励まして坐禅させられたことを、目の当たりにこれを見たのである。今の学人も、あの気風を思うべきである。
解説
仏法の盛衰を、坐禅を勧めるか勧めないかという一点に結びつけている。教理の深浅でも人数でもなく、日々の行が続いているかどうかで測る見方である。目の当たりに見たと繰り返すことで、これが伝聞ではなく実見の報告であることが強調され、次の条の具体的なやりとりへ続いていく。
この章句が説くこと
坐禅衰微叢林気風実見如浄
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