正法眼蔵随聞記 / 巻二
然ありと云へども、亦そゝろに身を苦しめ、なすべからざることをなせと、佛教には勸むることなきなり、戒行律儀に隨ひ以てゆけば、自然に身やすく、行儀も尋常に、人めもやすきなり、ほどに只今案の我見の身の安樂を捨てゝ、一向に佛制に順すべきなり、
新字:然ありと云へども、亦そゝろに身を苦しめ、なすべからざることをなせと、仏教には勧むることなきなり、戒行律儀に随ひ以てゆけば、自然に身やすく、行儀も尋常に、人めもやすきなり、ほどに只今案の我見の身の安楽を捨てゝ、一向に仏制に順すべきなり、
書き下し
然ありと云へども、亦そゝろに身を苦しめ、なすべからざることをなせと、仏教には勧むることなきなり、戒行律儀に随ひ以てゆけば、自然に身やすく、行儀も尋常に、人めもやすきなり、ほどに只今案の我見の身の安楽を捨てゝ、一向に仏制に順すべきなり、
現代語訳
そうであるとはいっても、また、むやみに身を苦しめ、なすべきでないことをせよとは、仏の教えは勧めていないのである。戒行と律儀に随っていけば、自然に身も安らかで、ふるまいも尋常で、人目にも安らかである。であるから、ただ今考えている我見による身の安楽を捨てて、ひたすら仏の制に順ずべきである。
解説
身を苦しめよと言った直後に、むやみな苦行は勧めないと断る。しかも戒律に随えば身は自然に安らかになるという。捨てよと言われているのは安楽そのものではなく、自分の見立てで確保しようとする安楽である。同じ言葉で二種類の安楽を区別しており、この巻の締めくくりにふさわしい整理になっている。
この章句が説くこと
苦行安楽戒律我見仏制律儀
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