正法眼蔵随聞記 / 巻五
今の學人も最もこれを思ふべし、學道勤勞の志しあらば、時光を惜て學道すべし、何の暇まありてか人と諍論すべき、畢竟して自他共に無益なり、法門すらしかなり、何かに況や世間の事において無益の論をなさんや、君子の力ら牛にも勝れりといへとも、牛と諍そはず、我れ法を知れり、彼に勝れたりと思ふとも、論して人を掠め難ずべからず、若し眞實の學道の人ありて法を問はヾ、法を惜むべからす、爲に開示すべし、然あれとも猶それも、三度問はれて一度答ふべし、多言開語することなかれ、我れも此の眞淨の語を見しより後、尤も此咎は我身にもあり、是れ我をいさめらるゝと思ひし故に、以後終に他と法門の諍論せさるなり、
新字:今の学人も最もこれを思ふべし、学道勤労の志しあらば、時光を惜て学道すべし、何の暇まありてか人と諍論すべき、畢竟して自他共に無益なり、法門すらしかなり、何かに況や世間の事において無益の論をなさんや、君子の力ら牛にも勝れりといへとも、牛と諍そはず、我れ法を知れり、彼に勝れたりと思ふとも、論して人を掠め難ずべからず、若し真実の学道の人ありて法を問はヾ、法を惜むべからす、為に開示すべし、然あれとも猶それも、三度問はれて一度答ふべし、多言開語することなかれ、我れも此の真浄の語を見しより後、尤も此咎は我身にもあり、是れ我をいさめらるゝと思ひし故に、以後終に他と法門の諍論せさるなり、
書き下し
今の学人も最もこれを思ふべし、学道勤労の志しあらば、時光を惜て学道すべし、何の暇まありてか人と諍論すべき、畢竟して自他共に無益なり、法門すらしかなり、何かに況や世間の事において無益の論をなさんや、君子の力ら牛にも勝れりといへとも、牛と諍そはず、我れ法を知れり、彼に勝れたりと思ふとも、論して人を掠め難ずべからず、若し真実の学道の人ありて法を問はヾ、法を惜むべからす、為に開示すべし、然あれとも猶それも、三度問はれて一度答ふべし、多言開語することなかれ、我れも此の真浄の語を見しより後、尤も此咎は我身にもあり、是れ我をいさめらるゝと思ひし故に、以後終に他と法門の諍論せさるなり、
現代語訳
今の学人ももっともこれを思うべきである。学道に勤め労する志があるならば、時を惜しんで道を学ぶべきである。どこに暇があって人と論争などするのか。つまるところ自他ともに無益である。法門ですらそうである。ましてや世間の事について無益な論をするだろうか。君子の力は牛にもまさっているといっても、牛とは争わない。自分は法を知っている、彼にまさっていると思うとしても、論じて人を掠め、非難してはならない。もし真実に道を学ぶ人があって法を問うならば、法を惜しんではならない。その人のために開き示すべきである。しかしながら、なおそれも、三度問われて一度答えるべきである。多くを語り、みだりに口を開いてはならない。わたしもこの真浄の語を見てから後、もっともこの咎は我が身にもあり、これは自分を戒められているのだと思ったゆえに、以後ついに他人と法門の論争をしないのである。
解説
この章句が説くこと
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孫子・作戦篇夫れ兵久しくして国の利ある者は未だこれ有らざるなり。
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徒然草・第170段さしたる事なくて人の許行くは、よからぬ事なり。用ありて行きたりとも、その事果てなば疾く帰るべし。久しく居たる、いとむつかし。人と対ひたれば、詞多く、身もくたびれ、心も静かならず、万の事さはりて時を移す、互のため益なし。厭はしげにいはむもわろし、心づきなき事あらむをりは、なかなかその由をもいひてむ。おなじ心に向はまほしく思はむ人の、つれづれにて、「今しばし、今日は心しづかに。」などいはむは、この限りにはあらざるべし。阮籍が青き眼、誰もあるべきことなり。その事となきに、人の来りて、のどかに物語して帰りぬる、いとよし。また文も、「久しく聞えさせねば。」などばかり言ひおこせたる、いと嬉し。
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『正法眼蔵随聞記』巻五故に今度の入宋、一向に思切り畢りぬと云て、終に入宋せられき、先師にとりて真実の道心と存せしこと是らの道理なり、然あれば今の学人も、或は父母の為、或は師匠の為とて、無益の事を行じて、徒らに時を失ひて、諸道にすぐれたる仏道をさしおきて、空く光陰を過すことなかれ、
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『正法眼蔵随聞記』巻五示して云く、古へに謂ゆる君子の力は牛に勝れり、然あれども牛とあらそはすと、今の学人我が智慧才学人に勝れたりと存するとも、人と諍論を好むことなかれ、亦悪口を以て人を呵噴し、怒目を以て人を見ることなかれ、今時の人多く財をあたへ恩を施せども、瞋恚を現じ、悪口を以て謗言する故に、必ず逆心を起すなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻一示して云く、設使我れは道理を以て云ふに、人はひがみて僻事を云ふ、理を攻て云ひ勝つはあしきなり、亦我は現に道理と思へども、吾が非にこそと云て、はやくまけて退くもあしばやなり、只人をも云ひ折らず、我が僻ことにも謂はず、無為にして止みぬるが好きなり、耳に聴人れぬやうにして忘るれば、人も忘れて嗔らざるなり、第一の用心なり、