正法眼蔵随聞記 / 巻一
亦物語に云く、故の鎌倉の右大將、始め兵衞佐にて有し時、內裡の邊に、日はれの會に出仕の時、一人の不當人ありき、其時の大納言あふせて云く、是を制すべしと、大將の云く、六波羅に仰せらるべし、平家の將軍なりと、大納言の云く、近か近かなればなりと、大將の云く、其の人に非ずと、是れ美言なり、此の心にて後には世をも治められしなり、今の學人も其心あるべし、其人にあらずして人を呵すること莫れ、
新字:亦物語に云く、故の鎌倉の右大将、始め兵衛佐にて有し時、内裡の辺に、日はれの会に出仕の時、一人の不当人ありき、其時の大納言あふせて云く、是を制すべしと、大将の云く、六波羅に仰せらるべし、平家の将軍なりと、大納言の云く、近か近かなればなりと、大将の云く、其の人に非ずと、是れ美言なり、此の心にて後には世をも治められしなり、今の学人も其心あるべし、其人にあらずして人を呵すること莫れ、
書き下し
亦物語に云く、故の鎌倉の右大将、始め兵衛佐にて有し時、内裡の辺に、日はれの会に出仕の時、一人の不当人ありき、其時の大納言あふせて云く、是を制すべしと、大将の云く、六波羅に仰せらるべし、平家の将軍なりと、大納言の云く、近か近かなればなりと、大将の云く、其の人に非ずと、是れ美言なり、此の心にて後には世をも治められしなり、今の学人も其心あるべし、其人にあらずして人を呵すること莫れ、
現代語訳
また物語に言う。故鎌倉の右大将が、初め兵衛佐であったとき、内裏のあたりで、晴れの会に出仕したときのこと、一人の不当な振る舞いをする者がいた。そのときの大納言が仰せられて言った。これを制すべきである、と。大将が言った。六波羅に仰せられるがよい、平家の将軍でありますから、と。大納言が言った。近いところにいるからこそ言うのだ、と。大将が言った。私はその人ではありません、と。これは美しい言葉である。この心があったからこそ、後には世をも治められたのである。今の学人にもその心があるべきである。その任にある人でもないのに、人をしかってはならない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『正法眼蔵随聞記』巻二亦大宋宏智禅師の会下、天童は常住物千人の用途なり、然あれば堂中七百人堂外三百人にて、千人につもる、常住物なるに、好き長老の住したる故へに、諸方の僧雲集して、堂中千人なり、其外に五六百人あるなり、知事の人、宏智に訴へて云く、常住物は千人の分なり、衆僧多く集まりて用途不足なり、枉げてはなたれんと申しゝかば、宏智云く、人々みな口あり、汝ぢか事にあづからず、嘆くこと莫れと云々、
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『正法眼蔵随聞記』巻一一日示して云く、人其家に生れ、其道に入らば、先づ其家業を修すべしと知るべきなり、我道にあらず己が分にあらざらんことを知り修すれば即ち非なり、今も出家人として、便ち仏家に入り僧侶とならば、須く其業を習ふべし、其業を習ひ其儀を守ると云は、我執をすてゝ知識の教に随ふなり、其大意は食欲無きなり、貪欲なからんと思はヾ、先づ須く吾我を離るべきなり、吾我を離るゝには、無常を観ずる、是れ第一の用心なり、
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『正法眼蔵随聞記』巻一外典に云く西施毛端にあらざれども色を好む者は色を好む、飛兎綠耳に非ざれども馬を好む者は馬を好む、竜肝鳳髄にあらざれども味を好む者は味を好む、只随分の賢を用るのみなり、俗なほ此の儀あり、仏家亦かくの如くなるべし、況や亦仏二十年の福分を以て末法の我らに施す、是に依て天下の叢林人天の供養絶ねず、如来神通の福徳自在なるも、馬麦を食して夏を過しましましき、末法の弟子豈に是を慕はざらんや、
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荀子・富国篇萬物は宇を同じくして體を異にし、宜無くして用有るは人の為なるは、數なり。人倫並び處り、求めを同じくして道を異にし、欲を同じくして知を異にするは、生なり。皆可とする有るは、知愚同じ。可とする所の異なるは、知愚分かるるなり。埶同じくして知異なり、私を行いて禍無く、欲を縱にして窮せざれば、則ち民心奮いて説ばしむべからざるなり。是の如くんば、則ち知者未だ治を得ざるなり。知者未だ治を得ざれば、則ち功名未だ成らざるなり。功名未だ成らざれば、則ち群衆未だ縣らざるなり。群衆未だ縣らざれば、則ち君臣未だ立たざるなり。君の以て臣を制する無く、上の以て下を制する無ければ、天下の害は欲を縱にするより生ず。欲惡は物を同じくし、欲は多くして物は寡し、寡なければ則ち必ず爭わん。故に百技の成す所は、一人を養う所以なり。而して能あるも技を兼ぬること能わず、人は官を兼ぬること能わず。離居して相待たざれば則ち窮し、群居して分無ければ則ち爭う。窮は患なり、爭は禍なり。患を救い禍を除くには、則ち分を明らかにして群せしむるに若くは莫し。彊は弱を脅かし、知は愚を懼れしめ、民下は上に違い、少は長を陵ぎ、徳を以て政を為さざれば、是の如くんば則ち老弱は養いを失うの憂い有り、而して壮者は分爭の禍有らん。事業は惡む所なり、功利は好む所なり、職業に分無くんば、是の如くんば則ち人は事を樹つるの患有り、而して功を爭うの禍有らん。男女の合、夫婦の分、婚姻娉内、送逆に禮無くんば、是の如くんば則ち人は合を失うの憂い有り、而して色を爭うの禍有らん。故に知者は之が分を為すなり。
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『墨子』非儒下民を存す。是に於いて其の禮を厚くし、其の封を留め、敬して見るも其の道を問わず。孔丘、乃ち景公と晏子とに志怒し、乃ち鴟夷子を樹てて田常の門に及ぼし、南郭子に欲する所を為すを告げ、魯に歸る。頃有りて、齊の将に魯を伐たんとするを間き、子貢に告げて曰く、「賜や、大事を今の時に舉げん」と。乃ち子貢を齊に遣わし、南郭惠子に因りて以て田常に見え、之に吳を伐つを勸め、以て髙・國・鮑・晏を教え、田常の亂を害するを得ざらしめ、越に吳を伐つを勸む。三年の内、齊・吳、國を破るの難あり、伏尸は術數を以て言う。孔丘の誅なり。
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孟子・離婁章句下曾子、武城に居る。越の寇有り。或ひと曰く、「寇至る、盍ぞ諸を去らざるや。」曰く、「人を我が室に寓し、其の薪木を毀傷すること無かれ。」寇退けば、則ち曰く、「我が牆屋を修めよ。我將に反らんとす。」寇退き、曾子反る。左右曰く、「先生を待つこと、此の如く其れ忠にして且つ敬なり。寇至れば、則ち先づ去りて以て民の望みを為し、寇退けば則ち反る。不可なるに殆(ちかい)し。」沈猶行曰く、「是れ汝の知る所に非ざるなり。昔、沈猶、負芻の禍い有り。先生に従う者七十人、未だ與ること有らず。」子思、衛に居る。齊の寇有り。或ひと曰く、「寇至る。盍そ諸を去らざるや。」子思曰く、「如し伋去らば、君誰と與にか守らん。」孟子曰く、「曾子・子思は道を同じくす。曾子は師なり、父兄也なり。子思は臣なり、微なり。曾子・子思、地を易うれば則ち皆然り。」