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正法眼蔵随聞記 / 巻一

一切のことにのぞんで道理を案ずべきなり、念々止まらず、日々遷流して、無常迅速なること眼前の道理なり、知識經卷の教へを待つべからず、只念々に明日を期することなく、當日當時ばかりを思ふて、後日は太だ不定なり、知り難ければ、只今日ばかり存命のほど、佛道に隨はんと思ふべきなり、佛道に隨ふと云は、興法利生の爲に身命を捨てゝ、諸事を行じもてゆくなり、問て曰く、

新字:一切のことにのぞんで道理を案ずべきなり、念々止まらず、日々遷流して、無常迅速なること眼前の道理なり、知識経巻の教へを待つべからず、只念々に明日を期することなく、当日当時ばかりを思ふて、後日は太だ不定なり、知り難ければ、只今日ばかり存命のほど、仏道に随はんと思ふべきなり、仏道に随ふと云は、興法利生の為に身命を捨てゝ、諸事を行じもてゆくなり、問て曰く、

書き下し

一切のことにのぞんで道理を案ずべきなり、念々止まらず、日々遷流して、無常迅速なること眼前の道理なり、知識経巻の教へを待つべからず、只念々に明日を期することなく、当日当時ばかりを思ふて、後日は太だ不定なり、知り難ければ、只今日ばかり存命のほど、仏道に随はんと思ふべきなり、仏道に随ふと云は、興法利生の為に身命を捨てゝ、諸事を行じもてゆくなり、問て曰く、

現代語訳

すべての事に臨んで道理を考えるべきである。念々にとどまらず、日々に移り流れて、無常が迅速であることは目の前の道理である。善知識や経巻の教えを待つまでもない。ただ念々に明日を期することなく、今日この時ばかりを思って、後日ははなはだ不定である、知りがたいのであるから、ただ今日ばかり命のあるうちに、仏道に随おうと思うべきである。仏道に随うというのは、法を興し衆生を利するために身命を捨てて、諸事を行っていくことである。

解説

無常を、教えとして学ぶのではなく目の前の道理として見よと言う。念々にとどまらないという観察は、日を単位にした計画そのものを崩す。そのうえで仏道に随うことの中身が示され、坐ることではなく、法を興し人を利するために身命を捨てて事を行うことだと言い換えられている。前の条から続く、内外の話の着地点にあたる。

この章句が説くこと

無常今日念々道理興法利生

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