正法眼蔵随聞記 / 巻一
廣學博覽はかなふべからざることなり、一向に思ひ切て止べし、示して云く、唯一事について用心故實も習ひ、先達の行履を尋ねて、一行を專らはげみて、人師先達の氣色すまじきなり、
新字:広学博覧はかなふべからざることなり、一向に思ひ切て止べし、示して云く、唯一事について用心故実も習ひ、先達の行履を尋ねて、一行を専らはげみて、人師先達の気色すまじきなり、
書き下し
広学博覧はかなふべからざることなり、一向に思ひ切て止べし、示して云く、唯一事について用心故実も習ひ、先達の行履を尋ねて、一行を専らはげみて、人師先達の気色すまじきなり、
現代語訳
広く学び多く読むことは、かなうはずのないことである。ひたむきに思い切ってやめるべきである。示して言われた。ただ一事について用心も故実も習い、先達の行いを尋ねて、一つの行をもっぱら励んで、人の師・先達であるような顔つきをしてはならない。
解説
広学博覧を「よくない」ではなく「かなうはずがない」と言うところに、この条の手厳しさがある。時間と力の総量から見れば、広さと深さは同時に取れない。そのうえで一行を専らにせよと言い、さらに先達らしい顔をするなと釘を刺す。一つに絞ることが、たやすく自分を教える側に置く錯覚を生むからである。
この章句が説くこと
一行専心広学先達慢心故実
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『正法眼蔵随聞記』巻四古人云く、奢て上賢にひとしからんと思ふことなかれ、賤ふして下賤にひとしからんと思ふことなかれと、云こゝろは、共に慢心なり、高ふしても下らんことを忘るゝことなかれ、安ふしても危からんことを忘るゝことなかれ、今日存するとも明日もと思ふことなかれ、死の至てちかくあやふきこと脚下にあり、
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