正法眼蔵随聞記 / 巻五
亦世間に自體財寶に豐かに、福分もある人は、眷屬も圍邊し、人もゆるす、それを是とし驕るゆゑに、傍らの賤き人は、これを見て羨み痛むべし、人のいたみを自體富貴の人いかやうにかつゝしむべきや、かくの如き人は、戒めがたく、その身も愼むことならざるなり、
新字:亦世間に自体財宝に豊かに、福分もある人は、眷属も囲辺し、人もゆるす、それを是とし驕るゆゑに、傍らの賤き人は、これを見て羨み痛むべし、人のいたみを自体富貴の人いかやうにかつゝしむべきや、かくの如き人は、戒めがたく、その身も慎むことならざるなり、
書き下し
亦世間に自体財宝に豊かに、福分もある人は、眷属も囲辺し、人もゆるす、それを是とし驕るゆゑに、傍らの賤き人は、これを見て羨み痛むべし、人のいたみを自体富貴の人いかやうにかつゝしむべきや、かくの如き人は、戒めがたく、その身も慎むことならざるなり、
現代語訳
また世間で、もともと財宝に豊かで福分もある人は、眷属も取り囲み、人も許す。それをよいこととして驕るゆえに、傍らの賤しい人は、これを見て羨み痛むであろう。人の痛みを、もともと富貴の人はどのように慎むべきだろうか。このような人は戒めにくく、その身も慎むことができないのである。
解説
前段の、貧しい側の驕りは戒めやすいという言葉を受けて、富める側へ話が移る。周りが許してしまうので本人に非の自覚が生まれない、という構造がここで示される。悪意がなくても人を痛ませるという、次の段への橋渡しになっている。
この章句が説くこと
驕奢富貴慎自覚羨望眷属
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