正法眼蔵随聞記 / 巻六
行道の人居所等を支度し、衣鉢等を調へて、後に行道せんと思ふことなかれ、貧窮の人衣鉢資具にともしくして、調ふを待つほどに、次第に臨終ちかづきよるはいかん、ゆゑに居所を待ち、衣鉢を調へて、後に行道せんと欲せば、一生空く過すべきなり、只衣鉢等はなけれども、在家も佛道は行ずるぞかしと思ひて行ずべきなり、
新字:行道の人居所等を支度し、衣鉢等を調へて、後に行道せんと思ふことなかれ、貧窮の人衣鉢資具にともしくして、調ふを待つほどに、次第に臨終ちかづきよるはいかん、ゆゑに居所を待ち、衣鉢を調へて、後に行道せんと欲せば、一生空く過すべきなり、只衣鉢等はなけれども、在家も仏道は行ずるぞかしと思ひて行ずべきなり、
書き下し
行道の人居所等を支度し、衣鉢等を調へて、後に行道せんと思ふことなかれ、貧窮の人衣鉢資具にともしくして、調ふを待つほどに、次第に臨終ちかづきよるはいかん、ゆゑに居所を待ち、衣鉢を調へて、後に行道せんと欲せば、一生空く過すべきなり、只衣鉢等はなけれども、在家も仏道は行ずるぞかしと思ひて行ずべきなり、
現代語訳
行道の人は、住む所などを支度し、衣鉢などを調えて、後に行道しようと思ってはならない。貧しい人が衣鉢や道具に乏しくて、調うのを待つうちに、次第に臨終が近づいて来るのはどうするのか。であるから、住む所を待ち、衣鉢を調えて、後に行道しようとすれば、一生を空しく過ごすことになる。ただ衣鉢などはなくても、在家でも仏道は行ずるのだと思って行ずべきである。
解説
前段の病に続いて、道具立てを条件にすることを断つ。乏しい者ほど待つ時間が長く、待っているうちに終わるという指摘は容赦がない。在家でも行ずるのだから、という一句で、僧の道具を揃えることと修行を始めることを切り離している。揃えることが目的にすり替わるという危うさを、ここで言い当てている。道具の数だけ、始めない理由が増えていく。
この章句が説くこと
支度衣鉢行道貧今環境
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