正法眼蔵随聞記 / 巻五
亦漢の高祖の時、ある賢臣の云く、政道の理亂は繩の結ぼれるを解くが如し、急にすべからず、能々むすびめを見てとくべしと、佛道も亦かくの如し、能々道理を心得て、行ずべきなり、法門を能く心得る人は、必ず强き道心ある人、よく心得るなり、いかに利智聰明なる人も、無道心にして、吾我をも離れ得ず、名利をも棄て得ぬ人は、道者ともならず、正理をも心得ぬなり、
新字:亦漢の高祖の時、ある賢臣の云く、政道の理乱は縄の結ぼれるを解くが如し、急にすべからず、能々むすびめを見てとくべしと、仏道も亦かくの如し、能々道理を心得て、行ずべきなり、法門を能く心得る人は、必ず强き道心ある人、よく心得るなり、いかに利智聰明なる人も、無道心にして、吾我をも離れ得ず、名利をも棄て得ぬ人は、道者ともならず、正理をも心得ぬなり、
書き下し
亦漢の高祖の時、ある賢臣の云く、政道の理乱は縄の結ぼれるを解くが如し、急にすべからず、能々むすびめを見てとくべしと、仏道も亦かくの如し、能々道理を心得て、行ずべきなり、法門を能く心得る人は、必ず强き道心ある人、よく心得るなり、いかに利智聰明なる人も、無道心にして、吾我をも離れ得ず、名利をも棄て得ぬ人は、道者ともならず、正理をも心得ぬなり、
現代語訳
また漢の高祖の時、ある賢臣が言った。政道の治まりと乱れは、縄が結ぼれているのを解くようなものである。急いではならない。よくよく結び目を見て解くべきだ、と。仏道もまたこのようである。よくよく道理を心得て行ずべきである。法門をよく心得る人は、必ず強い道心のある人がよく心得るのである。どれほど知恵が鋭く聡明な人でも、道心がなくて我をも離れ得ず、名利をも捨て得ない人は、道者ともならず、正しい理をも心得ないのである。
解説
急いで引けば固くなる、というのは縄にも人の乱れにも当てはまる。結び目を見よ、という助言が実務的である。後半では、法門を心得るのは知恵の鋭さではなく道心の強さによるとされ、我と名利を離れられない者は理も心得ないと言い切られる。理解の条件が知力ではなく態度に置かれている。
この章句が説くこと
道理急がず道心名利我執政道
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