正法眼蔵随聞記 / 巻三
一日示して云く、人は必す陰德を修すべし、陰德を修すれば、必す冥加顯益あるなり、設ひ泥木塑像の麁惡なりとも、佛像をは敬ふべし、黃卷赤軸の荒品なりとも、經教をは歸敬すべし、破戒無慚の僧侶なりとも、僧體をは仰信すべし、內心に信心を以て敬禮すれば、必ず顯福を蒙るなり、破戒無慙の僧、疎相の佛、麁品の經なればとて、不信無禮なれば必ず罰を蒙るなり、然あるべき如來の遺法にて、人天の福分となりたる佛像經卷僧侶なり、故に歸敬すれば必ず益あり、不信なれば罪を受るなりいかに希有に淺猿くとも、三寶の境界をは歸敬すべきなり、
新字:一日示して云く、人は必す陰徳を修すべし、陰徳を修すれば、必す冥加顕益あるなり、設ひ泥木塑像の麁悪なりとも、仏像をは敬ふべし、黄巻赤軸の荒品なりとも、経教をは帰敬すべし、破戒無慚の僧侶なりとも、僧体をは仰信すべし、内心に信心を以て敬礼すれば、必ず顕福を蒙るなり、破戒無慚の僧、疎相の仏、麁品の経なればとて、不信無礼なれば必ず罰を蒙るなり、然あるべき如来の遺法にて、人天の福分となりたる仏像経巻僧侶なり、故に帰敬すれば必ず益あり、不信なれば罪を受るなりいかに希有に浅猿くとも、三宝の境界をは帰敬すべきなり、
書き下し
一日示して云く、人は必す陰徳を修すべし、陰徳を修すれば、必す冥加顕益あるなり、設ひ泥木塑像の麁悪なりとも、仏像をは敬ふべし、黄巻赤軸の荒品なりとも、経教をは帰敬すべし、破戒無慚の僧侶なりとも、僧体をは仰信すべし、内心に信心を以て敬礼すれば、必ず顕福を蒙るなり、破戒無慚の僧、疎相の仏、麁品の経なればとて、不信無礼なれば必ず罰を蒙るなり、然あるべき如来の遺法にて、人天の福分となりたる仏像経巻僧侶なり、故に帰敬すれば必ず益あり、不信なれば罪を受るなりいかに希有に浅猿くとも、三宝の境界をは帰敬すべきなり、
現代語訳
ある日示して言われた。人は必ず陰徳を修めるべきである。陰徳を修めれば、必ず目に見えぬ加護と目に見える益がある。たとえ泥や木の粗末な塑像であっても、仏像は敬うべきである。黄ばんだ巻物、赤い軸の粗末な品であっても、経教はうやまうべきである。戒を破り恥を知らない僧侶であっても、僧の姿はあおいで信ずべきである。内心に信心をもって敬い礼すれば、必ず目に見える福を蒙るのである。戒を破り恥を知らない僧、粗末な仏、粗末な経だからといって、信ぜず礼を欠けば、必ず罰を蒙るのである。そうなるべき如来の遺された法であって、人天の福分となった仏像・経巻・僧侶である。だから帰依すれば必ず益があり、信じなければ罪を受けるのである。どれほどまれで情けなくとも、三宝の領域は帰依し敬うべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之五・信一子曰く、人にして信無くんば其の可なるを知らざるなり。人の心信実なるは、万事の基にして、人にまじはるの道なり。若信なければ、万事すべて、偽なれば、人にまじはりて、如何ぞ善なるべき。たとへば大車の荷車に輗なければ、牛の首に車をかくる事ならず。小車の乗車に軏なければ、車を馬にかくる事ならず。車と牛馬とは別の物なれど、輗と軏とあれば、是を以て牛馬に車をかけて引かしむべし。若此ものなくんば、何を以てか車をやるべきや。人にまじはるに信ならざるも、亦かくの如し。人と我とは、二物なり。信実を以て交はれば、互に感通して、道行はる。若信なくして人と交はらば、我人にまことなく、人我を信ぜず。彼と我と感通せず。何を以てか道行はれんや。
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『五常訓』巻之五・信一朱子曰、人の誠ならざる所、多くは言の上にありと。信をまもるに、言語の上に心を用ひて、実を以てすべし。一朋友に交るには、もとより愛敬を用ふべし。然れども、信なければ、愛敬も偽より出て、誠の愛敬にあらず。顔色をやはらげ、容貌をうやうやしくするも、偽りかざれるは、愛敬とすべからず。
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『十善法語』巻第十一・不邪見戒之中総シテ心ノアル処ハ形ノアル処。形ノ生スル処ニ其心生スルシヤ。此女人自ノ眉目鼻口ノソナヘニ自執着セシ故。一息截断ノ時。其着セル心還テ己カ面上ニ生シ。虫ト為テ暫モ離レ得ヌシヤ。摩訶羅ト云ハ梵語デ。此ニハ老ナリ愚ナリト翻スル。愚人ノ年ヲ重ネタル者ノ名シヤ。看ヨ。正法ハ智愚ヲ択ハヌ。唯信アル処ニ此縁起実相ハ顕ルルシヤ。今日ノ者モ純一ニ心ヲ寄セハ。仮令摩訶羅ナリトモ。甚深ノ法ニ通達スヘキシヤ。
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『五常訓』巻之一・総論又孟子はじめて仁義礼智の四徳をつらねて説き給へり。是又仁義の外、礼智あるにあらず。礼は仁よりいで、智は義の内にあり。朱子の、礼は仁の著るるなり。智は義の蔵るるなりといへるが如し。仁義をわかちて四徳を説くは、陰陽をわかてば、春夏秋冬の四時となるに本づけり。前漢の董仲舒曰く。仁義礼智信五常の道は、王者の当に修飾すべき所なりといへり。是四徳に信を加へて、五常と説ける始なり。四徳の外、別に信あるにあらず。四徳のまことありて偽無きは、即信なり。信なければ仁義礼智にあらず。たとへば四時の内に土用ありて、木火金水の気行はるるが如し。木火金水も、土なければ生ぜず。是董仲舒のはじめて説き出せるにもあらず。上代よりすでに此説あればなり。
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『韓非子』外儲說左下第三十三魯の哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く古者夔一足有りと、其れ果して信に一足有るか。」孔子対へて曰く、「不なり、夔は一足に非ざるなり。夔は忿戾悪心にして、人多く説喜せざるなり。然りと雖も、其の以て人の害を免るるを得る所以の者は、其の信を以てなり。人皆曰く、独り此の一あれば、足れり、と。夔は一足に非ざるなり、一にして足るなり。」哀公曰く、「審かに而り、固より足れり。」一に曰く、哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く夔は一足なりと、信か。」曰く、「夔は、人なり、何の故に一足ならん。彼其れ他に異なること無し、而して独り声に通ず。堯曰く、夔は一にして足れり、と。楽正と為さしむ。故に君子曰く、夔は一有り、足れり、と。一足に非ざるなり。」三。文王崇を伐ち、鳳黄の虚に至る、韈の係解く、因りて自ら結ぶ。太公望曰く、「何為れぞや。」王曰く、「上は、君と処るもの皆其の師なり。中は、皆其の友なり。下は、尽く其の使なり。今皆先君の臣なり、故に使ふべきもの無きなり。」一に曰く、晋の文公楚と戦ひ、黄鳳の陵に至る、履の係解く、因りて自ら之を結ぶ。左右曰く、「以て人を使ふべからざるか。」公曰く、「吾聞く、上は、君の与に居る所、皆其の畏るる所なり。中は、君の与に居る所、皆其の愛する所なり。下は、君の与に居る所、皆其の侮る所なり。寡人不肖なりと雖も、先君の人皆在り、是を以て之を難るなり。」季孫士を好み、終身荘にして、居処衣服常に朝廷の如し。而して季孫適ま懈り、過失有り、而して長く為すこと能はざるなり。故に客以て己を厭易すと為し、相与に之を怨み、遂に季孫を殺す。故に君子は泰を去り甚を去る。一に曰く、南宮敬子顔涿聚に問ひて曰く、「季孫孔子の徒を養ひ、朝服して与に坐する所の者十を以て数ふるに賊に遇ふは、何ぞや。」
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『春秋左氏伝』成公十七年 郤至、乱を作さず「季子、余を欺けり」と。厲公將に難を作さんとす。胥童曰く、「必ず三郤を先にせよ。族大にして怨み多し。大族を去れば偪(せま)られず、怨み多きに敵すれば庸(こう)有り」と。公曰く、「然り」と。郤氏之を聞く。郤錡、公を攻めんと欲して曰く、「死すと雖も、君必ず危からん」と。郤至曰く、「人の立つ所以は、信・知・勇なり。信は君に叛かず、知は民を害せず、勇は亂を作さず。茲の三者を失はば、其れ誰か我に與(くみ)せん。死して怨み多くば、將た安(いづ)くにか之を用ゐん。君實に臣有りて之を殺す、其れ君を何とか謂はん。我の罪有るや、吾が死するは後(おそ)し。若し不辜を殺さば、將に其の民を失はんとす。安きを得んと欲するも得んや。命を待つのみ。君の祿を受け、是を以て黨を聚む。黨有りて命を爭ふは、罪孰(いづ)れか焉(これ)より大ならん」と。壬午、胥童・夷羊五、甲八百を帥ゐて、將に郤氏を攻めんとす。長魚矯、眾を用ゐること無からんことを請ふ。公、清沸魋(せいふつたい)をして之を助けしむ。戈を抽き衽(じん)を結びて、偽りて訟ふる者となる。三郤將に榭に謀らんとす。矯、戈を以て駒伯・苦成叔を其の位に殺す。溫季曰く、「威を逃れん」と。遂に趨る。矯、諸を其の車に及び、戈を以て之を殺す。皆諸を朝に尸(さら)す。胥童、甲を以て欒書・中行偃を朝に劫(おびや)かす。矯曰く、「二子を殺さずんば、憂ひ必ず君に及ばん」と。公曰く、

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