正法眼蔵随聞記 / 巻一
奘問て云く、此こと寔に然り、たゞし善事にて人の利益とならんことを人にも云ひ傳へんは最もなるべし、若し解事を以て人の所帶を取んと思ひ、或ひは人の爲にあしき事を云んをば云ひ傳ふべきや、如何ん、師云く、理非等のことは我が知るべきに非ず、只一通の狀を乞へば與ふれども、理非に任せて沙汰あるべき由をこそ人にも云ひ、狀にも載すべけれ、請け取て沙汰せん人こそ、理非をば明らむべけれ、吾が分上にあらぬ此の如きことを、理を枉てその人に云んことも亦非なり、
新字:奘問て云く、此こと寔に然り、たゞし善事にて人の利益とならんことを人にも云ひ伝へんは最もなるべし、若し解事を以て人の所帯を取んと思ひ、或ひは人の為にあしき事を云んをば云ひ伝ふべきや、如何ん、師云く、理非等のことは我が知るべきに非ず、只一通の状を乞へば与ふれども、理非に任せて沙汰あるべき由をこそ人にも云ひ、状にも載すべけれ、請け取て沙汰せん人こそ、理非をば明らむべけれ、吾が分上にあらぬ此の如きことを、理を枉てその人に云んことも亦非なり、
書き下し
奘問て云く、此こと寔に然り、たゞし善事にて人の利益とならんことを人にも云ひ伝へんは最もなるべし、若し解事を以て人の所帯を取んと思ひ、或ひは人の為にあしき事を云んをば云ひ伝ふべきや、如何ん、師云く、理非等のことは我が知るべきに非ず、只一通の状を乞へば与ふれども、理非に任せて沙汰あるべき由をこそ人にも云ひ、状にも載すべけれ、請け取て沙汰せん人こそ、理非をば明らむべけれ、吾が分上にあらぬ此の如きことを、理を枉てその人に云んことも亦非なり、
現代語訳
懐奘が問うて言った。このことはまことにそのとおりです。ただし、善い事で人の利益となることを人に言い伝えるのは、もっともなことでしょう。もし、こざかしい理屈で人の持ち物を取ろうと思い、あるいは人のために悪い事を言おうとするのを、言い伝えるべきでしょうか、いかがですか。師が言われた。理があるか非があるかということは、自分が知るべきことではない。ただ一通の手紙を乞うのだから与えるけれども、理非に任せて裁定があるべき旨をこそ、人にも言い、手紙にも記すべきである。請け取って裁定する人こそが、理非を明らかにするはずである。自分の分ではないこのようなことを、理を曲げてその人に言うのも、また非である。
解説
この章句が説くこと
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