正法眼蔵随聞記 / 巻四
後に亦瀰池と云ふ處にて、趙王と秦王とあそびしに、趙王は琵琶の上手なり、秦王命じて彈せしむ、趙王相如にも云ひ合せずして卽ち琵琶を彈じき、時に相如、趙王の楽王の命に隨へることを嗔りて、我行て秦王に簫を吹かしめんと云て、秦王につげて云く、王は簫の上手なり、趙王聞かんことをねがふ、王吹たまふべしと云しかば、秦王是れを辭す、相如か云く、王若し辭せば王をうつべしと云ふ、時に秦の將軍劔を以て近づきよる、相如これをにらむに兩目ほころびさけてけり、將軍恐て劔をぬかずして歸りしかば、秦王ついに簫を吹くと云へり、
新字:後に亦瀰池と云ふ処にて、趙王と秦王とあそびしに、趙王は琵琶の上手なり、秦王命じて弾せしむ、趙王相如にも云ひ合せずして即ち琵琶を弾じき、時に相如、趙王の楽王の命に随へることを嗔りて、我行て秦王に簫を吹かしめんと云て、秦王につげて云く、王は簫の上手なり、趙王聞かんことをねがふ、王吹たまふべしと云しかば、秦王是れを辞す、相如か云く、王若し辞せば王をうつべしと云ふ、時に秦の将軍剣を以て近づきよる、相如これをにらむに両目ほころびさけてけり、将軍恐て剣をぬかずして帰りしかば、秦王ついに簫を吹くと云へり、
書き下し
後に亦瀰池と云ふ処にて、趙王と秦王とあそびしに、趙王は琵琶の上手なり、秦王命じて弾せしむ、趙王相如にも云ひ合せずして即ち琵琶を弾じき、時に相如、趙王の楽王の命に随へることを嗔りて、我行て秦王に簫を吹かしめんと云て、秦王につげて云く、王は簫の上手なり、趙王聞かんことをねがふ、王吹たまふべしと云しかば、秦王是れを辞す、相如か云く、王若し辞せば王をうつべしと云ふ、時に秦の将軍剣を以て近づきよる、相如これをにらむに両目ほころびさけてけり、将軍恐て剣をぬかずして帰りしかば、秦王ついに簫を吹くと云へり、
現代語訳
後にまた瀰池という処で、趙王と秦王とが遊んだ時、趙王は琵琶の上手であった。秦王が命じて弾かせた。趙王は相如にも相談せずに、すぐに琵琶を弾じた。その時、相如は趙王が秦王の命に随ったことを怒って、自分が行って秦王に簫を吹かせようと言って、秦王に告げて言った。王は簫の上手であられる。趙王が聞くことを願われる。王よ、お吹きください、と言ったところ、秦王はこれを辞退した。相如が言った。王がもし辞退されるなら、王を討つであろう、と言う。その時、秦の将軍が剣をもって近づき寄る。相如がこれを睨むと、両目がほころび裂けてしまった。将軍は恐れて剣を抜かずに帰ったので、秦王はついに簫を吹いたという。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
史記 廉頗藺相如列伝趙王以為へらく賢大夫にして使ひして諸侯に辱められずと、相如を拝して上大夫と為す。秦もまた城を以て趙に予へず、趙もまた終に秦に璧を予へず。その後、秦趙を伐ち、石城を抜く。明年、また趙を攻め、二万人を殺す。秦王、使者をして趙王に告げしめ、王と好会を西河の外の澠池に為さんと欲す。趙王秦を畏れ、行くこと毋からんと欲す。廉頗・藺相如計りて曰く、「王行かずんば、趙の弱くして且つ怯なるを示さん」と。趙王遂に行く、相如従ふ。廉頗送りて境に至り、王と訣れて曰く、「王行きて、道里を度り会遇の礼畢はりて還らば、三十日を過ぎず。三十日にして還らずんば、則ち請ふ太子を立てて王と為し、以て秦の望みを絶たん」と。王これを許す、遂に秦王と澠池に会す。秦王酒を飲みて酣なり、曰く、「寡人竊かに聞く、趙王音を好むと、請ふ瑟を奏せよ」と。趙王瑟を鼓す。秦の御史前みて書して曰く「某年月日、秦王、趙王と会飲し、趙王をして瑟を鼓せしむ」と。藺相如前みて曰く、「趙王竊かに聞く、秦王善く秦声を為すと、請ふ盆鮓を秦王に奏し、以て相娯楽せん」と。秦王怒りて、許さず。是に於いて相如前みて鮓を進め、因りて跪きて秦王に請ふ。秦王鮓を撃つことを肯んぜず。相如曰く、「五歩の内、相如請ふ頸血を以て大王に濺ぐを得ん」と。左右相如を刃せんと欲す、相如目を張りてこれを叱す、左右皆靡く。是に於いて秦王懌ばず、為に一たび鮓を撃つ。相如顧みて趙の御史を召し書せしめて曰く「某年月日、秦王、趙王の為に鮓を撃つ」と。秦の群臣曰く、「請ふ趙の十五城を以て秦王の寿と為せ」と。藺相如もまた曰く、「請ふ秦の咸陽を以て趙王の寿と為せ」と。秦王酒を竟ふるまで、終に勝を趙に加ふる能はず。趙もまた盛んに兵を設けて以て秦を待つ、秦敢へて動かず。
-
『正法眼蔵随聞記』巻四むかし趙の藺相如と云ひし者は、下賤の人なりしかども、賢なるにまりて、趙王にめしつかはれて、天下の事を行ひき、趙王の使として、趙璧と云玉を秦の国へつかはさしめたまふ、彼の壁を十五城にかへんと秦王の云し故に、相如にもたせてつかはすに、余の臣下議して云く、是れほどの宝を相如ごときの賤人に持たせてつかはすこと、国の人なきに似たり、余臣のはぢなり、後代のそしりなるべし、途にて此の相如を殺して、壁を奪ひ取らんと議しけるを、ときの人ひそかに相如にかたりて、此のたびの使を辞して命を保つへしと云ひければ、相如云く、某がし敢て辞すべからず、相如王の使として、壁を持て秦にむかふに、侯臣の為めに殺されたると後代に聞えんは、我ためによろこびなり、我が身は死すとも賢の名は残るべしと云て、終にむかひぬ、余臣も此の言ばを聴て、我れら此の人をうちうることあるへからずとてとゝまりぬ、
-
『正法眼蔵随聞記』巻四亦後に相如大臣となりて、天下の事を行ひし時に、かたはらの大臣我れに任さぬ事をそねみて、相如をうたんと擬する時に、相如は処々ににげかくれ、わざと参内の時も参会せず、おぢおそれたる気色なり、時に相如が家人いはく、かの大臣をうたんこと易きことなり、なにが故にかおぢかくれさせたまふと云ふ、相如か云く、我れ彼をおそるゝにあらず、我が眼を以て秦の将軍をも退け、秦の壁をも奪ひき、彼の大臣うつべきこと云ふにも足らず、然あれどもいくさを起し、つはものを集むることは、敵国を防ぐためなり、今ま左右の大臣として国を守るもの、若し二人なかをたがひていくさを起して、一人死せば一方欠くべし、然あらば敵国喜びていくさを起すべし、かるがゆゑに二人ともに全ふして国を守らんと思ふ故に、彼れといくさを起さずと云ふ、かの大臣此のことば聞て、はぢて還て来り拝して二人共に和して国をおさめしなり、相如身をわすれて道を存することかくの如し、今ま仏道存することも、彼の相如が心の如くなるべし、寧ろ道ありては死すとも、道無ふしていくることなかれと云云、
-
『正法眼蔵随聞記』巻四相如遂に秦王に見えて、壁を秦王にあたふるに、秦王十五城をあたふまじき気色見えたり、時に相如はかりごとを以て、秦王にかたりて云く、その壁にきずあり、我れ是れを示さんと云て、壁をこひ取て、後に相如が云く、王の気色を見るに、十五城を惜める気色あり、然あらば我が頭べを以て、此の壁を銅柱にあてゝ、うちわりてんと云て、瞋れる眼を以て、王を見て銅柱のもとによる気色まことに王をも犯しつべかりし、時に秦王の云く、汝壁をわることなかれ、十五城を与ふべし、あひはからはんほど、汝ぢ壁を持べしと云しかば、相如ひそかに人をして壁を本国へかへしぬ、
-
『智囊』見大・藺相如・寇恂趙王、澠池より帰り、藺相如の功大なるを以て、拝して上卿と為し、位は廉頗の右に在り。廉頗は自ら戦功を侈り、而るに相如は徒だ口舌の労を以て位その上に居るを、以て羞とし、宣言して曰く、「我、相如を見れば、必ずこれを辱めん」と。相如聞きて、与に会するを肯んぜず。朝する毎に、常に病と称し、頗と列を争うを欲せず。已にして相如出でて、廉頗を望み見れば、輒ち車を引きて避け匿る。是に於て舎人ら相い与に相如を諫め、辞し去らんと欲す。相如固くこれを止めて曰く、「公の廉頗を視ること、秦王に孰与れぞ」と。曰く、「若かざるなり」と。相如曰く、「夫れ秦王の威を以てして、相如はこれを廷叱し、その群臣を辱む。相如、駑なりと雖も、独り廉将軍を畏れんや。顧うに吾これを念う、強秦の敢えて兵を趙に加えざる所以の者は、徒だ吾が両人の在るを以てなり。今、両虎共に闘えば、勢い俱には生きず。吾が此れを為す所以の者は、国家の急を先にして私仇を後にすればなり」と。頗これを聞き、肉袒して荊を負い、賓客に因りて相如の門に至りて謝罪し、遂に刎頸の交わりを為す。
-
史記 廉頗藺相如列伝城趙に入らば璧は秦に留めん。城入らずんば、臣請ふ璧を完うして趙に帰さん」と。趙王是に於いて遂に相如を遣はし璧を奉じて西のかた秦に入らしむ。秦王章台に坐して相如を見る、相如璧を奉じて秦王に奏す。秦王大いに喜び、伝へて以て美人及び左右に示す、左右皆万歳を呼ぶ。相如、秦王の趙に城を償ふに意無きを視て、乃ち前みて曰く、「璧に瑕有り、請ふ王に指示せん」と。王璧を授く、相如因りて璧を持して卻き立ち、柱に倚り、怒髪上りて冠を衝き、秦王に謂ひて曰く、「大王璧を得んと欲し、人をして書を発して趙王に至らしむ。趙王悉く群臣を召して議す、皆曰く『秦は貪にしてその彊きを負み、空言を以て璧を求む、城を償ふは恐らくは得べからず』と。議は秦に璧を予ふるを欲せず。臣以為へらく、布衣の交はりすら尚ほ相欺かず、況んや大国をや。且つ一璧の故を以て彊秦の驩に逆らふは、不可なりと。是に於いて趙王乃ち斎戒すること五日、臣をして璧を奉ぜしめ、書を庭に拝送す。何となれば、大国の威を厳にして以て敬を修むればなり。今、臣至る、大王臣を列観に見、礼節甚だ倨る。璧を得て、これを美人に伝へ、以て臣を戯弄す。臣、大王の趙王に城邑を償ふに意無きを観る、故に臣また璧を取る。大王必ず臣を急にせんと欲せば、臣の頭は今璧と倶に柱に砕けん」と。相如その璧を持して柱を睨み、以て柱を撃たんと欲す。秦王その璧を破らんことを恐れ、乃ち辞謝して固く請ひ、有司を召して図を案じ、此より以往の十五都を指して趙に予へんとす。相如度るに秦王は特に詐りを以て詳りて趙に城を予ふと為すのみ、実は得べからず、乃ち秦王に謂ひて曰く、「和氏の璧は、天下の共に伝ふる所の宝なり、趙王恐れて、敢へて献ぜずんばあらず。趙王璧を送る時、斎戒すること五日、今大王もまた宜しく斎戒すること五日、九賓を廷に設くべし、臣乃ち敢へて璧を上らん」と。秦王これを度るに、終に彊ひて奪ふべからず、遂に斎すること五日を許し、相如を広成伝に舎す。相如度るに秦王斎すと雖も、決して約に負きて城を償はざらん、乃ちその従者をして褐を衣せしめ、その璧を懐にし、径道より亡げて、璧を趙に帰さしむ。秦王斎すること五日の後、乃ち九賓の礼を廷に設け、趙の使者藺相如を引く。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る