正法眼蔵随聞記 / 巻六
後に僧正云く、各は僻事とこそ思はるらん、然れども吾が思はくは、衆僧は面々佛道の志し有て集れり、一日絕食して餓死するとも苦しかるべからず、世に交れる人のさしあたりて事缺る苦惱を扶けたらんは、各の爲にも利益すぐれたるべしと云へり、まことに道者の案じ入たることかくの如し、
新字:後に僧正云く、各は僻事とこそ思はるらん、然れども吾が思はくは、衆僧は面々仏道の志し有て集れり、一日絶食して餓死するとも苦しかるべからず、世に交れる人のさしあたりて事欠る苦悩を扶けたらんは、各の為にも利益すぐれたるべしと云へり、まことに道者の案じ入たることかくの如し、
書き下し
後に僧正云く、各は僻事とこそ思はるらん、然れども吾が思はくは、衆僧は面々仏道の志し有て集れり、一日絶食して餓死するとも苦しかるべからず、世に交れる人のさしあたりて事欠る苦悩を扶けたらんは、各の為にも利益すぐれたるべしと云へり、まことに道者の案じ入たることかくの如し、
現代語訳
みなは間違いだと思われるだろう。けれども自分の思うところは、衆僧はそれぞれ仏道の志があって集まっている。一日食を絶って餓死しても苦しくはないはずだ。世に交わっている人が、さしあたって事欠く苦悩を助けたならば、みなのためにも利益がまさっているだろう、と言われた。まことに道者の考え入ったところは、このとおりである。
解説
自分の寺の僧を飢えさせて外の人を助けるという選択の理由。志があって集まった者は飢えに堪えられるはずだという信頼が前提にあり、しかもそれが衆自身の利益になると言い切る。身内を甘やかさないことが、身内への敬意になっている珍しい形である。
この章句が説くこと
布施志衆利益道者苦
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