正法眼蔵随聞記 / 巻四
俗の云く、城を傾むくることは中にさゝやき言出來るに依るなりと、亦云く、家に兩言ある時は針をも買ふことなし、家に兩言なき時は金をも買ふあたひありと、俗猶家をたもち城を守るに、同心ならざれば終にほろぶと云へり、況や出家人は一師に學して、水乳の和合せるが如くすべし、亦六和敬の法あり、各々寮々をかまへて、身をへたてゝ、心ろ心ろに學道の用心することなかれ、一船にのりて海をわたるが如し、同心に威儀を同ふし、たかひに非を改め、是に隨て同く學道すべきなり、是れ佛在世より行じ來れる儀式なり、
新字:俗の云く、城を傾むくることは中にさゝやき言出来るに依るなりと、亦云く、家に両言ある時は針をも買ふことなし、家に両言なき時は金をも買ふあたひありと、俗猶家をたもち城を守るに、同心ならざれば終にほろぶと云へり、況や出家人は一師に学して、水乳の和合せるが如くすべし、亦六和敬の法あり、各々寮々をかまへて、身をへたてゝ、心ろ心ろに学道の用心することなかれ、一船にのりて海をわたるが如し、同心に威儀を同ふし、たかひに非を改め、是に随て同く学道すべきなり、是れ仏在世より行じ来れる儀式なり、
書き下し
俗の云く、城を傾むくることは中にさゝやき言出来るに依るなりと、亦云く、家に両言ある時は針をも買ふことなし、家に両言なき時は金をも買ふあたひありと、俗猶家をたもち城を守るに、同心ならざれば終にほろぶと云へり、況や出家人は一師に学して、水乳の和合せるが如くすべし、亦六和敬の法あり、各々寮々をかまへて、身をへたてゝ、心ろ心ろに学道の用心することなかれ、一船にのりて海をわたるが如し、同心に威儀を同ふし、たかひに非を改め、是に随て同く学道すべきなり、是れ仏在世より行じ来れる儀式なり、
現代語訳
俗世に言う、城を傾けることは、内でささやき言が出てくることによるのだ、と。また言う、家に二つの言い分がある時は針をも買うことがなく、家に二つの言い分がない時は金をも買う値があるのだ、と。俗世でさえ、家を保ち城を守るのに、心を同じくしなければついに滅ぶと言っている。まして出家の人は一人の師に学んで、水と乳とが和合しているようであるべきである。また六和敬の法がある。それぞれが寮を構えて、身を隔て、心をばらばらにして学道の心得をしてはならない。一つの船に乗って海を渡るようなものである。心を同じくして威儀を同じくし、互いに非を改め、是に随って同じく学道すべきである。これは仏の在世より行われてきた作法である。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻五世間の人も他にまじはらず、己れが家ばかりにて生長したる人は、心のまゝにふるまひ、己が心を先として、人目をしらす、人の心を兼ざる人は、必ずしもあしきなり、学道の用心も亦かくのことし、衆にまじはり師に順して、我見を立せす、心をあらためゆけば、たやすく道者となるなり、学道は先づすべからく貧を学すべし、名をすて利をすて、一切諂らふことなく、万事なげすつれば必ずよき道人となるなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻六初心学道の人は、只衆に随ふて行道すべきなり、はやく用心故実等を学し知らんと思ふことなかれ、用心故実等のことも、只独り山にも入り、市にもかくれて、行ぜん時あやまりなく、能く知りたるは好きことなり、衆に随ふて行せば道を得べきなり、たとへば船にのりて行くには、我は漕ゆくやうをも知らざれども、よき船師に任せてゆけば、知りたるも知ざるも彼の岸に至るが如し、善知識に随て、衆と共に行じて、私しなければ自然に道人となるなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻一一日示して云く、人其家に生れ、其道に入らば、先づ其家業を修すべしと知るべきなり、我道にあらず己が分にあらざらんことを知り修すれば即ち非なり、今も出家人として、便ち仏家に入り僧侶とならば、須く其業を習ふべし、其業を習ひ其儀を守ると云は、我執をすてゝ知識の教に随ふなり、其大意は食欲無きなり、貪欲なからんと思はヾ、先づ須く吾我を離るべきなり、吾我を離るゝには、無常を観ずる、是れ第一の用心なり、