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正法眼蔵随聞記 / 巻二

亦此の志しをおごす事は、切に世間の無常を思ふべきなり、此の事は亦只假令の觀法なんどにすべきことにあらず、亦無きことをつくりて思ふべきことにもあらず、眞實に眼前の道理なり、人のをしへ、聖教の文、證道の理を待つべからず、朝に生じて夕べに死し、昨日みし人今日はなきこと、眼に遮ぎり耳にちかし、是は他のうへにて見聞することなり、我が身にひきあてゝ道理を思ふに、たとひ七旬八旬に命を期すべくとも、終に死ぬべき道理に依て死す、其の間の憂へ樂み、思愛怨敵等を思ひとげば、いかにてもすごしてん、只佛道を信じて涅槃の眞樂を求むべし、

新字:亦此の志しをおごす事は、切に世間の無常を思ふべきなり、此の事は亦只仮令の観法なんどにすべきことにあらず、亦無きことをつくりて思ふべきことにもあらず、真実に眼前の道理なり、人のをしへ、聖教の文、證道の理を待つべからず、朝に生じて夕べに死し、昨日みし人今日はなきこと、眼に遮ぎり耳にちかし、是は他のうへにて見聞することなり、我が身にひきあてゝ道理を思ふに、たとひ七旬八旬に命を期すべくとも、終に死ぬべき道理に依て死す、其の間の憂へ楽み、思愛怨敵等を思ひとげば、いかにてもすごしてん、只仏道を信じて涅槃の真楽を求むべし、

書き下し

亦此の志しをおごす事は、切に世間の無常を思ふべきなり、此の事は亦只仮令の観法なんどにすべきことにあらず、亦無きことをつくりて思ふべきことにもあらず、真実に眼前の道理なり、人のをしへ、聖教の文、證道の理を待つべからず、朝に生じて夕べに死し、昨日みし人今日はなきこと、眼に遮ぎり耳にちかし、是は他のうへにて見聞することなり、我が身にひきあてゝ道理を思ふに、たとひ七旬八旬に命を期すべくとも、終に死ぬべき道理に依て死す、其の間の憂へ楽み、思愛怨敵等を思ひとげば、いかにてもすごしてん、只仏道を信じて涅槃の真楽を求むべし、

現代語訳

またこの志を起こすことは、切に世間の無常を思うべきである。この事は、また、ただかりそめの観法などにすべきことではない。また、ありもしないことを作り上げて思うべきことでもない。真実に目の前の道理である。人の教えや聖教の文、証道の理を待つまでもない。朝に生まれて夕べに死に、昨日見た人が今日はいないことは、目に遮り耳に近い。これは他人の上において見聞することである。自分の身に引き当てて道理を思うに、たとえ七十、八十まで命を期すとしても、ついには死ぬべき道理によって死ぬ。その間の憂いや楽しみ、思愛や怨敵などを思い遂げたところで、どうにでも過ごしてしまうだろう。ただ仏道を信じて涅槃の真の楽を求めるべきである。

解説

無常を、修行の一環として観ずる観法にしてはならないと言う。作り出す想念でも、経典で学ぶ理でもなく、目の前で起きている事実だと押さえる。そのうえで、他人の死として見聞していることを自分に引き当てよと促す。七十八十まで生きても死ぬ道理は変わらないという一句で、時間の長短が問題でないことが示される。

この章句が説くこと

無常観法眼前涅槃

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