正法眼蔵随聞記 / 巻五
亦云く、昔し一人の賢人、州吏として國政を行ふ時に、息男あり、官事により父を辭し、拜して去る、時に父一疋の練を與ふ、息の云ふ、君は高亮なり、此の練いづくよりか得たるや、父云く、俸祿のあまりなりと、息去りて皇帝に奉りまゐらせて、その由を奏す、帝太た其の賢なることを感じたまふ、息男申さく、父は名をかくす、我れは名を顯はす、眞に父の賢勝れたりと、此の心は一疋の練は、是れ少分なれども、賢人は私用せざること聞れたり、亦寔の賢人は名をかくす、俸祿なれば使用するよしを云ふなり、俗人猶を然り、況や學道の衲子、私を存することなかれ、亦寔の道を好まば道者の名をかくすべきなり、
新字:亦云く、昔し一人の賢人、州吏として国政を行ふ時に、息男あり、官事により父を辞し、拝して去る、時に父一疋の練を与ふ、息の云ふ、君は高亮なり、此の練いづくよりか得たるや、父云く、俸禄のあまりなりと、息去りて皇帝に奉りまゐらせて、その由を奏す、帝太た其の賢なることを感じたまふ、息男申さく、父は名をかくす、我れは名を顕はす、真に父の賢勝れたりと、此の心は一疋の練は、是れ少分なれども、賢人は私用せざること聞れたり、亦寔の賢人は名をかくす、俸禄なれば使用するよしを云ふなり、俗人猶を然り、況や学道の衲子、私を存することなかれ、亦寔の道を好まば道者の名をかくすべきなり、
書き下し
亦云く、昔し一人の賢人、州吏として国政を行ふ時に、息男あり、官事により父を辞し、拝して去る、時に父一疋の練を与ふ、息の云ふ、君は高亮なり、此の練いづくよりか得たるや、父云く、俸禄のあまりなりと、息去りて皇帝に奉りまゐらせて、その由を奏す、帝太た其の賢なることを感じたまふ、息男申さく、父は名をかくす、我れは名を顕はす、真に父の賢勝れたりと、此の心は一疋の練は、是れ少分なれども、賢人は私用せざること聞れたり、亦寔の賢人は名をかくす、俸禄なれば使用するよしを云ふなり、俗人猶を然り、況や学道の衲子、私を存することなかれ、亦寔の道を好まば道者の名をかくすべきなり、
現代語訳
また言われた。昔ひとりの賢人が州の役人として国の政を行っていた時、息子があった。公の用事によって父に別れを告げ、拝して去る。その時、父は一疋の練絹を与えた。息子が言った。あなたは高潔です。この練絹はどこから得たのですか、と。父が言った。俸禄の余りである、と。息子は去って皇帝に奉り差し上げて、その由を奏上した。帝はたいそうその賢いことに感じ入られた。息子が申した。父は名を隠し、わたしは名を顕しました。まことに父の賢さが勝れています、と。この心は、一疋の練絹は少しの物であるけれども、賢人は私に用いないことが知られる。また、まことの賢人は名を隠す。俸禄であるから使ってよいのだという言い方をするのである。俗人でさえそうである。まして学道の修行僧は、私を持ってはならない。またまことに道を好むならば、道者の名を隠すべきである。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻五示して云く、昔し国王あり、国を治て後ちに諸の臣下に問ふ、我好く国を治む、よく賢なりやと、諸臣みな云く、帝甚だよく治む、太だ賢なりと、時に一臣ありて云く、帝は賢ならずと、帝の云く故は如何、臣が云く、国を治て後ち、帝の弟に与へずして息に与ふと、帝の心にかなはずして、追ひ立られて後、亦一臣に問ふ、朕よく仁なりや、臣が云く、甚だ仁なり、帝の云く、其の故いかん、臣が云く、仁君には必ず忠臣あり、忠臣は直言あるなり、前きの臣太だ直言なり、是れ忠臣なり、仁君にあらずんば得じと、帝是を感じて、即ち前きの臣をめしかへさるゝなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻一夜話に云く、昔魯仲連と云ふ将軍ありき、平原君が国に在て能く朝敵をたひらぐ、平原君賞して数多の金銀等を与へしかば、魯仲連辞して云く、只だ将軍のみちなれば敵を能く討のみなり、賞を得て物をとらん為めに非ず云て、敢て取らずと云ふ、魯仲連が廉直とて名誉のことなり、俗猶を賢なるは、我れ其の人として、其の道の能をなすばかりなり、かはりを得んと思はず、学人の用心もかくの如くなるべし、仏道に入り、仏法の為に諸事を行して、代に所得あらんと思ふべからす、内外の諸教に皆無所得なれとのみ勧むるなり、法談の次に、
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