正法眼蔵随聞記 / 巻五
亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば學人も佛祖の道を得んと思はゞ、須く佛祖の道を好むへし、
新字:亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ、須く仏祖の道を好むへし、
書き下し
亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ、須く仏祖の道を好むへし、
現代語訳
また言われた。仙人があった。ある人が問うて言った。どのようにして仙を得るのですか、と。仙人が言った。仙を得ようと思うならば、仙の道を好むべきである、と。であるから学人も仏祖の道を得ようと思うならば、すべからく仏祖の道を好むべきである。
解説
問いと答えが同じ言葉を折り返しているだけに見えるが、そこが眼目である。得る方法を尋ねられて、その道を好めと答える。方法ではなく好むかどうかが分かれ目だという答え方で、志の切なさを説いた巻二の条と同じ趣旨が、極めて短い形で置かれている。方法を探している間は、まだ好きになっていない。好きになれば、方法は勝手に集まってくる。
この章句が説くこと
志好む道方法仙学人
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尚書・旅獒志は道を以て寧んじ、言は道を以て接す。
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『慎思録』巻之一学は将に以て道を知らんとするなり。聖人詢詢として教へを垂る、至れり尽くせりと謂ふべし。学者をして道を知らしめんと欲するなり。後世学者益多くして、道を知ること能はざる者は、何ぞや。蓋し学者は須らく志を立つるを以て本と為すべし。其の志す所の者は何ぞや。道を知るを以て志と為すなり。学者博聞広覧すと雖も、然れども道を知るに志無くして、徒らに章句を以て勤めと為す者は、其の失三つ有り。曰く、詞章に溺る、訓詁に泥む、記誦に止まる。此の三者の習ひは、終身書を読むと雖も、然れども道を知ること能はず。労して功無しと謂ふべきなり。且つ道を求むるに志有りて、三失無しと雖も、然れども道を知ること能はざる者は、其の失亦四つ有り。苟も聖学に専一ならざれば、則ち志他岐に分かる。故に迷ひて道を知ること能はず。其の失一なり。之を博学せざれば、則ち孤陋寡聞にして、道を知ること能はず。其の失二なり。思ひを致すこと精詳ならざれば、則ち粗略にして道を知ること能はず。其の失三なり。曲士の教へに束ねらるるが如きは、則ち学を為すこと専一なりと雖も、然れども拘泥して道を知ること能はず。其の失四なり。須らく斯の数の失無くして、以て道を知るの工夫と為すべし。
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『慎思録』巻之一或ひと疑ふ、世間書を読むの人多し。往往身心に益無き者は、何ぞやと。曰く、学を為すは志を立つるに在り。苟も志無きの人は、広覧博聞すと雖も、己に益無し。然れども志なる者は己に由りて有する所にして、別人に管せず。須らく自己奮起すべし。故に皮日休云ふ、聖人は人に道を与ふれども、人に志を与ふること能はずと。夫れ六経四書の載する所の者は、聖人の道なり。六経四書の文字は、聖人の言なり。志有る者は、其の言を誦して其の道を求む。益有る所以なり。志無き者は、其の言を誦して其の道を忘る。益無き所以なり。凡そ学ぶ者は、躬行して之を心得することを貴ぶ。苟も聖人の道を求むるに志無くんば、則ち躬行心得すること能はず。然らば則ち博学強記し、日日経義を説くと雖も、奚ぞ其の身に益有るべけんや。
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