正法眼蔵随聞記 / 巻二
亦ある人の云く、末世邊土の佛法興隆は、閑居靜處をかまヘ、衣食等の外護にわづらひなく、衣食具足して佛法修行せば、利益も廣かるべしと、今これを思ふに然らず、それに付ては有相著我の諸人あつまり學せんほどに、その中には一人も發心の人は出來るまじ、利養につき、財欲にふけりて、縱ひ千萬人集りたらんも、一人無からんに猶おとるべし、惡道の業因のみ自ら積で、佛法の氣分なきゆゑなり、
新字:亦ある人の云く、末世辺土の仏法興隆は、閑居静処をかまヘ、衣食等の外護にわづらひなく、衣食具足して仏法修行せば、利益も広かるべしと、今これを思ふに然らず、それに付ては有相著我の諸人あつまり学せんほどに、その中には一人も発心の人は出来るまじ、利養につき、財欲にふけりて、縦ひ千万人集りたらんも、一人無からんに猶おとるべし、悪道の業因のみ自ら積で、仏法の気分なきゆゑなり、
書き下し
亦ある人の云く、末世辺土の仏法興隆は、閑居静処をかまヘ、衣食等の外護にわづらひなく、衣食具足して仏法修行せば、利益も広かるべしと、今これを思ふに然らず、それに付ては有相著我の諸人あつまり学せんほどに、その中には一人も発心の人は出来るまじ、利養につき、財欲にふけりて、縦ひ千万人集りたらんも、一人無からんに猶おとるべし、悪道の業因のみ自ら積で、仏法の気分なきゆゑなり、
現代語訳
またある人が言った。末世辺土の仏法興隆は、静かな所に閑居を構え、衣食などの外護に煩いなく、衣食が十分に備わって仏法を修行すれば、利益も広いはずである、と。今これを思うに、そうではない。それにつけては、相にとらわれ我に執着する人々が集まって学ぶうちに、その中には一人も発心の人は出てこないだろう。利養につき、財欲にふけって、たとえ千万人が集まったとしても、一人もいないのになお劣るはずである。悪道の業因ばかりが自ずと積もって、仏法の気配がないからである。
解説
この章句が説くこと
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