正法眼蔵随聞記 / 巻一
亦現の僻事なれども、我を大事にも思ふ人にて、此の人の云んことは善惡たがへじと思ふほどの知音ありて、檀那の處へひがごとを以て不得心の所望をなさば、其れを只今その人より所望のことを一往聞くとも、彼の狀には去り難く、申せば申すばかりなり、道理に任せて沙汰あるべしと書くべきなり、一切に是なれば彼れも是れも遺恨あるべからざるなり、此の如くのこと、人に對面をもし、出來ることにつきて、能々思量すべきなり、所詮は事に觸て、名聞我執を拾つべきなり、
新字:亦現の僻事なれども、我を大事にも思ふ人にて、此の人の云んことは善悪たがへじと思ふほどの知音ありて、檀那の処へひがごとを以て不得心の所望をなさば、其れを只今その人より所望のことを一往聞くとも、彼の状には去り難く、申せば申すばかりなり、道理に任せて沙汰あるべしと書くべきなり、一切に是なれば彼れも是れも遺恨あるべからざるなり、此の如くのこと、人に対面をもし、出来ることにつきて、能々思量すべきなり、所詮は事に触て、名聞我執を拾つべきなり、
書き下し
亦現の僻事なれども、我を大事にも思ふ人にて、此の人の云んことは善悪たがへじと思ふほどの知音ありて、檀那の処へひがごとを以て不得心の所望をなさば、其れを只今その人より所望のことを一往聞くとも、彼の状には去り難く、申せば申すばかりなり、道理に任せて沙汰あるべしと書くべきなり、一切に是なれば彼れも是れも遺恨あるべからざるなり、此の如くのこと、人に対面をもし、出来ることにつきて、能々思量すべきなり、所詮は事に触て、名聞我執を拾つべきなり、
現代語訳
また、明らかに僻事であっても、自分を大事にも思ってくれる人で、この人の言うことは善悪にかかわらず違えまいと思うほどの知り合いがあって、檀那のところへ僻事をもって不得心の所望をするなら、それをただ今その人から所望のことを一応聞くとしても、その手紙には、断りがたく、申せば申すばかりです、道理に任せて裁定があるべきです、と書くべきである。すべてこのようであれば、あちらにもこちらにも遺恨があるはずがない。このようなことは、人に対面もし、出てくる事につけて、よくよく思量すべきである。要するに、事に触れて名聞と我執を捨てるべきである。
解説
この章句が説くこと
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