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正法眼蔵随聞記 / 巻六

亦俗の云く、我れ金を賣れども人の買ふなしと、佛祖の道も亦かくのごとし、道を惜むにはあらず、常に與ふれども、人の得ざるなり、道を得ることは、根の利鈍にはよらず、人々皆法を悟るべきなり、精進と懈怠とによりて、得道の遲速あり、進退の不同は志の至ると至らざるとなり、志しの至らざることは無常を思はざる故なり、念々に死去す、畢竟して且くも留まらず、暫く存せる間だ、時光を空くすごすことなかれ、

新字:亦俗の云く、我れ金を売れども人の買ふなしと、仏祖の道も亦かくのごとし、道を惜むにはあらず、常に与ふれども、人の得ざるなり、道を得ることは、根の利鈍にはよらず、人々皆法を悟るべきなり、精進と懈怠とによりて、得道の遅速あり、進退の不同は志の至ると至らざるとなり、志しの至らざることは無常を思はざる故なり、念々に死去す、畢竟して且くも留まらず、暫く存せる間だ、時光を空くすごすことなかれ、

書き下し

亦俗の云く、我れ金を売れども人の買ふなしと、仏祖の道も亦かくのごとし、道を惜むにはあらず、常に与ふれども、人の得ざるなり、道を得ることは、根の利鈍にはよらず、人々皆法を悟るべきなり、精進と懈怠とによりて、得道の遅速あり、進退の不同は志の至ると至らざるとなり、志しの至らざることは無常を思はざる故なり、念々に死去す、畢竟して且くも留まらず、暫く存せる間だ、時光を空くすごすことなかれ、

現代語訳

また俗に言う、私は金を売っているけれども買う人がいない、と。仏祖の道もまたこのとおりである。道を惜しんでいるのではない。常に与えているけれども、人が受け取らないのである。道を得ることは、素質の利鈍にはよらない。人はみな法を悟るべきである。精進と怠りとによって、得道の遅い早いがある。進むと退くとの違いは、志が至るか至らないかである。志が至らないのは、無常を思わないからである。念々に死んでゆく。畢竟してしばらくも留まらない。しばらく生きているあいだ、時を空しく過ごしてはならない。

解説

金を売っているのに買い手がないという俗諺で、道が閉ざされていないことを言う。差がつくのは素質ではなく精進と怠り、その分かれ目は志、志の分かれ目は無常を思うかどうか、と原因を一段ずつ遡っていく。この巻の主題が一本の線でつながる箇所である。

この章句が説くこと

精進懈怠無常利鈍得道

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