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正法眼蔵随聞記 / 巻五

これをものもしらぬ一向の在家人は、道心者貴き人なりと思へり、此れを少したちいでゝ施主檀那をも貪らず父母妻子をも捨てはてゝ、叢林に交りて行道するもあれども、本性懶惰懈怠なる者は、ありのまゝに解怠する事も恥かしければ、長老首座等の見る時は相かまへて行道するよしをなして、見ざる時は事に觸れて怠り、徒らにおくるもあり、是は在家にしてさのみ無當ならんよりはよけれども、猶は吾我名利を捨得ざるなり、

新字:これをものもしらぬ一向の在家人は、道心者貴き人なりと思へり、此れを少したちいでゝ施主檀那をも貪らず父母妻子をも捨てはてゝ、叢林に交りて行道するもあれども、本性懶惰懈怠なる者は、ありのまゝに解怠する事も恥かしければ、長老首座等の見る時は相かまへて行道するよしをなして、見ざる時は事に触れて怠り、徒らにおくるもあり、是は在家にしてさのみ無当ならんよりはよけれども、猶は吾我名利を捨得ざるなり、

書き下し

これをものもしらぬ一向の在家人は、道心者貴き人なりと思へり、此れを少したちいでゝ施主檀那をも貪らず父母妻子をも捨てはてゝ、叢林に交りて行道するもあれども、本性懶惰懈怠なる者は、ありのまゝに解怠する事も恥かしければ、長老首座等の見る時は相かまへて行道するよしをなして、見ざる時は事に触れて怠り、徒らにおくるもあり、是は在家にしてさのみ無当ならんよりはよけれども、猶は吾我名利を捨得ざるなり、

現代語訳

これを、物も知らない一向の在家の人は、道心者で貴い人だと思っている。これより少し進んで、施主や檀那をも貪らず、父母妻子をも捨て果てて、叢林にまじわって道を行ずる者もあるけれども、生まれつき怠けて緩んでいる者は、ありのままに怠けることも恥ずかしいので、長老や首座などが見る時は、身構えて道を行ずるふりをして、見ない時は事に触れて怠り、いたずらに時を送る者もある。これは在家にあって、それほど不当であるよりはよいけれども、なお我と名利を捨て得ていないのである。

解説

第二の段階は、家も財も捨てて叢林に入りながら、人目のある時だけ勤める者である。怠けることを恥じる気持ちはあるのだから、まったくの偽りではない。それでも我と名利が残っているとされ、恥じる心すら人目に由来することが暗に示されている。

この章句が説くこと

懈怠人目名利叢林在家

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