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正法眼蔵随聞記 / 巻一

問て云く、破戒にして虛く人天の供養を受け、無道心にして徒に如來の福分を費やさんより、在家人に隨ふて、在家の事をなして、命ながらへて能く修道せんこと如何ん、答て云く、誰か云ひし、破戒無道心なれと、只强て道心を發し、佛法を行ずべきなり、いかに況や持戒破戒を論せす、初心後心を分かたず、齊しく如來の福分を與ふとは見れたれども、破戒ならば還俗すべし、無道心ならば修行せざれとは見れず、

新字:問て云く、破戒にして虚く人天の供養を受け、無道心にして徒に如来の福分を費やさんより、在家人に随ふて、在家の事をなして、命ながらへて能く修道せんこと如何ん、答て云く、誰か云ひし、破戒無道心なれと、只强て道心を発し、仏法を行ずべきなり、いかに況や持戒破戒を論せす、初心後心を分かたず、斉しく如来の福分を与ふとは見れたれども、破戒ならば還俗すべし、無道心ならば修行せざれとは見れず、

書き下し

問て云く、破戒にして虚く人天の供養を受け、無道心にして徒に如来の福分を費やさんより、在家人に随ふて、在家の事をなして、命ながらへて能く修道せんこと如何ん、答て云く、誰か云ひし、破戒無道心なれと、只强て道心を発し、仏法を行ずべきなり、いかに況や持戒破戒を論せす、初心後心を分かたず、斉しく如来の福分を与ふとは見れたれども、破戒ならば還俗すべし、無道心ならば修行せざれとは見れず、

現代語訳

問うて言った。戒を破っていながら空しく人天の供養を受け、道心がないのにいたずらに如来の福分を費やすよりは、在家の人に随って在家の事をなし、命を長らえてよく道を修めるのはいかがでしょうか。答えて言われた。誰が言ったのか、破戒で無道心であれ、などと。ただ強いて道心を起こし、仏法を行ずべきである。まして持戒か破戒かを論ぜず、初心か後心かを分けず、等しく如来の福分を与えるとは見えているけれども、破戒であるなら還俗せよ、道心がないなら修行するなとは見えていない。

解説

問いは一見謙虚だが、破戒と無道心を前提として動かさないまま、身の処し方だけを変えようとしている。答えはその前提のほうを突く。誰がそのままでいろと言ったのか、というのが第一声である。経典が福分を等しく与えると言っている一方で、破戒なら去れとは言っていないという読み方で、居場所ではなく心の立て直しへ話を向けている。

この章句が説くこと

道心破戒還俗供養福分発心

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