正法眼蔵随聞記 / 巻二
僧正の門弟等の僧の云く、今の建仁寺の寺屋敷川原に近し、後代に水難ありぬべしと、僧正の云く、我れ寺の後代の亡失是れを思ふべからず、西天の祇園精舍もいしずゑばかりとゞまれり、然あれども、寺院建立の功德失すべからず、亦當時一年半年の行道、其の功德莫大なるべしと、今ま是れを思ふに、寺院の建立寔に一期の大事なれば、未來際をも兼て難無きやうにこそ思ふべけれども、さる心中にも亦此の如きの道理存せられたる心のたけ、寔に是れを思ふべし、
新字:僧正の門弟等の僧の云く、今の建仁寺の寺屋敷川原に近し、後代に水難ありぬべしと、僧正の云く、我れ寺の後代の亡失是れを思ふべからず、西天の祇園精舎もいしずゑばかりとゞまれり、然あれども、寺院建立の功徳失すべからず、亦当時一年半年の行道、其の功徳莫大なるべしと、今ま是れを思ふに、寺院の建立寔に一期の大事なれば、未来際をも兼て難無きやうにこそ思ふべけれども、さる心中にも亦此の如きの道理存せられたる心のたけ、寔に是れを思ふべし、
書き下し
僧正の門弟等の僧の云く、今の建仁寺の寺屋敷川原に近し、後代に水難ありぬべしと、僧正の云く、我れ寺の後代の亡失是れを思ふべからず、西天の祇園精舎もいしずゑばかりとゞまれり、然あれども、寺院建立の功徳失すべからず、亦当時一年半年の行道、其の功徳莫大なるべしと、今ま是れを思ふに、寺院の建立寔に一期の大事なれば、未来際をも兼て難無きやうにこそ思ふべけれども、さる心中にも亦此の如きの道理存せられたる心のたけ、寔に是れを思ふべし、
現代語訳
またある時、僧正の門弟たちの僧が言った。今の建仁寺の寺屋敷は川原に近い。後の代に水難があるにちがいない、と。僧正が言われた。わたしは寺の後の代の滅びを思うべきではない。天竺の祇園精舎も礎ばかりがとどまっている。しかしながら、寺院を建立した功徳が失われるはずはない。また、目下の一年半年の行道、その功徳は莫大であろう、と。今これを思うに、寺院の建立はまことに一生の大事であるから、未来の果てまで兼ねて難のないようにこそ思うべきであろうけれども、そうした心中にも、またこのような道理を持っておられた心のたけを、まことによく思うべきである。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻二今ま僧堂を立んとて、勧進をもし随分にいとなむ事は、必ずしも仏法興隆と思はず、只当時学道する人もなく、いたづらに日月を送るあひだ、只あらんよりはと思ふて、迷徒の結縁ともなれかし、亦当時学道の徒がらの坐禅の道塲のためなり、亦思ひ始めたる事のならぬとても恨みあるべからず、只柱ら一本なりとも立てゝ置たらば、後来もかく思ひくはだてたれども、成らざりけりと見んも、苦るしかるべからずと思ふなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻四予昔年初て建仁寺に入りし時は、僧衆随分に三業を守て、仏道の為め、利他のために、悪きことをば云はじせじと、各各志させしなり、僧正の徳の余残ありしほどは、かくの如くなりき、今時は其の儀なし、今の学者しるべし、決定して、自他の為め仏道の為に詮あるべきことならば、身をわすれても言ひ、若くは行ひもすべきなり、其の詮なきことは言行すべからず、宿老耆年の言行する時は、末臘の人は言ばをまじふべからず、是れ仏制なり、能々是れを思ふべし、身をわすれて道を思ふことは、俗猶此の心あり、
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『正法眼蔵随聞記』巻六示して云く、道者の用心は常の人に異ることあり、故建仁寺の僧正在世の時に、寺中絶食することありき、時に一人の檀那、僧正を請して、絹一疋を施す、僧正歓喜して人にももたしめず、自ら取て懐中して、寺に帰て知事に与へて云く、明旦の浄粥等に作すべしと、然るに有る俗人の所より所望して云く、愧かましき事有て絹二三疋入用あり、少々にてもあらば給はるべき由を申す、僧正即ちさきつかたの絹を取返して、すなはちこれを与ふ、時に知事の僧も衆僧も思の外に不審するなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻一宋土の寺院なんどには都て雑談をせざれば、其やうなること、をも云はざるなり、吾が国も近ごろ建仁寺の僧正存生の時は、一向あからさまにも此の如きの言語出来らず、滅後にも存世の時の弟子等、少々残りとヾまりたりし時は一切に云はざりき、近ごろ此の七八年より以来、今ま出の若き人たち時々談ずるなり、存外の次第なり、聖教の中にも麁强悪業令人覚悟無利言説能障正道とありて、只うち出して云処の言ばすら、無利の言説は障道の因縁なり況やかくの如きの言語は、ことばに引れて即ち心も起りつべし、最も用心すべきなり、故さらにかくなん云はじとせずとも、悪きことゝ知りなば漸々に退治すべきなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻五予も建仁寺に寓せし時、人多く法門等を問ひき、その中には非義も過患も有しかども、此の儀をふかく存じて、只ありのまゝに法の徳を語りて、他の非をいはず、無為にしてやみにき、愚者の執見ふかきは、我が先徳の非を云とて、かならず嗔恚を起すなり、智慧ある人の真実なるは、仏法の道理をだにもこゝろ得ぬれば、人はいはざれども、我が非及び我が先徳の非をも思ひしりてあらたむるなり、かくのごとき等の事、よくよく思ひしるべし、
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『正法眼蔵随聞記』巻二亦云く、当世の人多く造像起塔等の事を仏法興隆と思へり、是れ亦非なり、直饒ひ高堂大観、玉をみがき金をのべたりとも、是れに依て得道の者あるべからず、只在家人の財宝を仏界に入れて、善事をなす福分なり、亦小因大果を感ずることあれども、僧徒の此の事をいとなむは仏法興隆にはあらざるなり、たとひ草菴樹下にてもあれ、法門の一句をも思量し、一と時の坐禅をも行せんこそ、誠の仏法興隆にてあらめ、