正法眼蔵随聞記 / 巻二
夜話に云く、學人は必ずしぬべきことを思ふべき道理は勿論なり、たとひ其のことをば思はずとも、暫く先づ光陰を徒らに過さじと思ひて、無用のことをなして、徒らに時を過さず、詮あることをなして、時を過すべきなり、其のなすべきことの中にも、亦一切のこといづれか大切なると云ふに、佛祖の行履の外は無用なりと知るべし、
新字:夜話に云く、学人は必ずしぬべきことを思ふべき道理は勿論なり、たとひ其のことをば思はずとも、暫く先づ光陰を徒らに過さじと思ひて、無用のことをなして、徒らに時を過さず、詮あることをなして、時を過すべきなり、其のなすべきことの中にも、亦一切のこといづれか大切なると云ふに、仏祖の行履の外は無用なりと知るべし、
書き下し
夜話に云く、学人は必ずしぬべきことを思ふべき道理は勿論なり、たとひ其のことをば思はずとも、暫く先づ光陰を徒らに過さじと思ひて、無用のことをなして、徒らに時を過さず、詮あることをなして、時を過すべきなり、其のなすべきことの中にも、亦一切のこといづれか大切なると云ふに、仏祖の行履の外は無用なりと知るべし、
現代語訳
学人は、必ず死ぬはずのことを思うべきである、という道理はもちろんである。たとえその事を思わなくとも、まずしばらく、時をいたずらに過ごすまいと思って、無用なことをして、いたずらに時を過ごさず、意味のあることをして時を過ごすべきである。そのなすべきことの中でも、また一切の事のどれが大切かというと、仏祖のふるまいのほか無用であると知るべきである。
解説
死を思うのが本筋だが、そこまで行けなくてもよいと段を下げるところに配慮がある。まず時を無駄にしないという当たり前の水準を示し、そのうえで、では何が意味のあることかと問い直す。答えは仏祖の行履のほかにないという一点で、範囲を絞る話がここでも繰り返されている。
この章句が説くこと
時光無用行履大切死学人
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『正法眼蔵随聞記』巻一示して云く無常迅速なり、生死事大なり、且く存命の際た、業を修し学を好ます、只仏道を行じ仏法を学すべきなり、文筆詩歌等其の詮なき事なれば、捨べき道理なり、仏法を学し、仏道を修するにも猶を多般を兼学すべからず、況や教家の顕密の聖教、一向にさしおくべきなり、仏祖の言語すら多般を好み学すべからず、一事を専らにせんすら、鈍根劣器の者はかなふべからす、況や多事を兼て、心操をとゝのへざらんは不可なり
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『正法眼蔵随聞記』巻二況や年長大なる人、半ばに過ぬる人は、余年幾く計りなれば学道ゆるくすへきや、此の道理も猶のびたる事なり、真宗には今日今時こそ、かくのごとく世間の事をも仏道の事をも思へ、今夜明日よりいかなる重病をも受て、東西を弁へぬ重苦の身となり、亦いかなる鬼神の怨害をもうけて頓死をもし、いかなる賊難にもあひ怨敵も出来て、殺害奪命せらるゝこともやあらん、実に不定なり、然あれば是れほどにあだなる世に、極て不定なる死期をいつまで命ちながらふべきとて、種々の活計を案じ、剰さへ他人のために悪をたくみに思ふて、いたづらに時光を過すこと、極めておろそかなる事なり、
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『正法眼蔵随聞記』巻二古人の云く、朝に道を聞て夕へに死すとも可なりと、いま学道の人も此の心あるべきなり、曠劫多生の間だ、いくたびか徒らに生じ徒らに死せしに、まれに人身を受けて、たまたま仏法にあへる時、此の身を度せずんば、何れの生にか此身を度せん、縦ひ身を惜みたもちたりともかなふべからず、ついに捨てゝ行く命ちを、一日片時なりとも仏法のために捨てたらんは、永劫の業因なるべし、
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『正法眼蔵随聞記』巻二後のこと明日の活計を思ふて、棄つへき世を捨てず、行ずべき道を行せずして、徒らに日夜を過すは口惜きことなり、只思ひきりて明日の活計なくば、飢へ死にもせよ、寒ごへ死にもせよ、今日一日道を聞て、仏意に随て、死せんと思ふ心をまづ発すべきなり、然るときんば道を行じ得んこと一定なり、此の心なければ世にそむき道を学する様なれども、猶しり足をふみて、夏冬の衣服等のことをした心にかけて、明日猶明年の活命を思ふて仏法を学せんは、万劫千生学すともかなふべしともおぼへず、亦さる人もやあらんずらん、存知の意趣、仏祖の教へにはあるべしともおぼへざるなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻一答て云く、但夫れ衲子の行履、仏祖の家風を学ぶべし、三国ことなりといへども、真実学道の者いまだ此の如きの事あらず、只心を世事に執着すること莫れ、一向に道を学すべきなり、仏の言く、衣鉢の外は寸分も貯へざれ、乞食の余分は飢たる衆生に施せ、設ひ受け来るとも寸分貯ふべからず、況や馳走あらんや、外典に云く、朝に道を聞て夕べに死すとも可なりと、設ひ飢に死に寒い死すとも、一日一時なりとも仏教に随ふべし、万劫千生幾回か生じ幾度か死せん、皆な是れ世縁妄執の故へなり、今生一度仏制に随て餓死せん、是れ永劫の安業なるべし、
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『正法眼蔵随聞記』巻二亦此の志しをおごす事は、切に世間の無常を思ふべきなり、此の事は亦只仮令の観法なんどにすべきことにあらず、亦無きことをつくりて思ふべきことにもあらず、真実に眼前の道理なり、人のをしへ、聖教の文、證道の理を待つべからず、朝に生じて夕べに死し、昨日みし人今日はなきこと、眼に遮ぎり耳にちかし、是は他のうへにて見聞することなり、我が身にひきあてゝ道理を思ふに、たとひ七旬八旬に命を期すべくとも、終に死ぬべき道理に依て死す、其の間の憂へ楽み、思愛怨敵等を思ひとげば、いかにてもすごしてん、只仏道を信じて涅槃の真楽を求むべし、