師導古典を学びたいすべての人に

正法眼蔵随聞記 / 巻一

いかに況や未だ一大藏教の中にも、三國傳來の佛祖一人も飢い死にし、寒ね死にしたる人ありときかず、世間衣糧の資具は生得の命分ありて、求に依ても來らず、求ざれども來らざるにも非ず、只任運にして心に挾むこと莫れ、末法なりと謂ふて、今生に道心發さすば、何れの生にか得道せん、設ひ空生迦葉の如くにあらずとも、只隨分に學道すべきなり、

新字:いかに況や未だ一大蔵教の中にも、三国伝来の仏祖一人も飢い死にし、寒ね死にしたる人ありときかず、世間衣糧の資具は生得の命分ありて、求に依ても来らず、求ざれども来らざるにも非ず、只任運にして心に挟むこと莫れ、末法なりと謂ふて、今生に道心発さすば、何れの生にか得道せん、設ひ空生迦葉の如くにあらずとも、只随分に学道すべきなり、

書き下し

いかに況や未だ一大蔵教の中にも、三国伝来の仏祖一人も飢い死にし、寒ね死にしたる人ありときかず、世間衣糧の資具は生得の命分ありて、求に依ても来らず、求ざれども来らざるにも非ず、只任運にして心に挟むこと莫れ、末法なりと謂ふて、今生に道心発さすば、何れの生にか得道せん、設ひ空生迦葉の如くにあらずとも、只随分に学道すべきなり、

現代語訳

まして、いまだ一大蔵教の中にも、三国伝来の仏祖で一人として飢え死に、凍え死にした人があるとは聞かない。世間の衣食の資具は生まれつきの分があって、求めることによって来るのでもなく、求めなければ来ないというのでもない。ただ運びに任せて、心に挟むことをするな。末法であると言って、今生に道心を起こさないなら、いつの生に得道するのか。たとえ須菩提や迦葉のようでなくとも、ただ分に随って道を学ぶべきである。

解説

前段で餓死をも辞さないと言った直後に、実際に餓死した仏祖は一人もいないと言い添える。覚悟の話と見通しの話を並べて置き、恐れの根拠を外しているのである。任運という言葉は投げやりではなく、求めても求めなくても来るものは来るという観察に立った態度を指す。末法を理由に先送りする言い分も、ここで断たれている。

この章句が説くこと

任運道心末法衣食得道

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる