正法眼蔵随聞記 / 巻一
夜話に云く惡口を以て僧を呵噴し毀訾すること莫れ、設ひ惡人不當なりとも左右なく惡くみ毀ることなかれ、先づいかにわるしと云とも、四人巳上集會しぬれば、これ僧體にて國の重寶なり最、も歸敬すべきものなり、若くは住持長老にてもあれ、若くは師匠知識にてもあれ、弟子不當ならば、慈悲心老婆心にて教訓誘引すべし、其時設ひ打べきをば打ち、呵噴すべきをば呵噴すとも、毀訾謗言の心を發すべからす、
新字:夜話に云く悪口を以て僧を呵噴し毀訾すること莫れ、設ひ悪人不当なりとも左右なく悪くみ毀ることなかれ、先づいかにわるしと云とも、四人巳上集会しぬれば、これ僧体にて国の重宝なり最、も帰敬すべきものなり、若くは住持長老にてもあれ、若くは師匠知識にてもあれ、弟子不当ならば、慈悲心老婆心にて教訓誘引すべし、其時設ひ打べきをば打ち、呵噴すべきをば呵噴すとも、毀訾謗言の心を発すべからす、
書き下し
夜話に云く悪口を以て僧を呵噴し毀訾すること莫れ、設ひ悪人不当なりとも左右なく悪くみ毀ることなかれ、先づいかにわるしと云とも、四人巳上集会しぬれば、これ僧体にて国の重宝なり最、も帰敬すべきものなり、若くは住持長老にてもあれ、若くは師匠知識にてもあれ、弟子不当ならば、慈悲心老婆心にて教訓誘引すべし、其時設ひ打べきをば打ち、呵噴すべきをば呵噴すとも、毀訾謗言の心を発すべからす、
現代語訳
夜話に言われた。悪口をもって僧をののしり、そしることをするな。たとえ悪人で不当な者であっても、あれこれ言わずに憎みそしってはならない。まず、どれほど悪いと言っても、四人以上が集まればこれは僧の体をなしており、国の重宝である。もっともうやまうべきものである。もしくは住持や長老であっても、もしくは師匠や善知識であっても、弟子が不当であるなら、慈悲心と老婆心をもって教え諭し導くべきである。そのとき、たとえ打つべきときには打ち、しかるべきときにはしかるとしても、そしり、あざける心を起こしてはならない。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻一先師天童浄和尚住持のとき、僧堂にて衆僧坐禅の時、眠りを誠しむるに履を以て打ち、謗言呵嘖せしかども、衆僧皆打たるゝを喜び讃嘆しき、有時亦上堂の次でに云く、我れ既に老後、今は衆を辞し、菴に住して、老を扶けて居るべけれども、衆の知識として、各の迷を破り道を授けんがために住持人たり、是に依て或は呵嘖の詞ばを出し、竹箆打擲等のことを行ず、是頗る怖れあり、然あれども仏に代て化儀を揚る式なり、諸兄弟慈悲を以て是を許し給へと言へば、衆僧皆流涕しき、
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うひ山ぶみ・第十六段さてまづ上の件のごとくなれば、まなびのしなも、しひてはいひがたく、学びやうの法も、かならず云々してよろしとは、定めがたく、又定めざれども、実はくるしからぬことなれば、たゞ心にまかすべきわざなれども、さやうにばかりいひては、初心の輩は、取リつきどころなくして、おのづから倦おこたるはしともなることなれば、やむことをえず、今宣長が、かくもやあるべからんと思ひとれるところを、一わたりいふべき也、
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『夜船閑話』序云く、師鵠林に住すること大凡四十年、鉢囊を掛けしより以来、雲水参玄の布衲纔かに門閫に跨れば、師の毒涎を甘なひ痛棒を滋として辞し去ることを忘るゝ者或は十年或は二十年、鵠林々下の塵と成る事も亦総に顧みざる底あり。尽く是叢林の頭角、四方の精英なり。
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言志四録・言志晩録 別存 第二十五条 真に是れ人師公、文職の外、極めて倥偬たり。徒を聚めて経を講ずるに暇無し。会々門人来り謁すれば、必ず一二の警語を賜ふ。各々虚しく往きて実ちて帰らざる莫し。真に是れ人師にして、帷を下す講師の比すべきに非ず。
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『碧巌録』第八十八則後に僧有り、雲門に挙似す。門便ち他の意を会して云く、「汝礼拝せよ」。僧礼拝して起つ。門、拄杖を以て挃く。這の僧退後す。門云く、「汝は是れ患盲にあらず」。復た喚ぶ、「近前し来れ」。僧近前す。門云く、「汝は是れ患聾にあらず」。乃ち云く、「会すや」。僧云く、「会せず」。門云く、「汝は是れ患啞にあらず」。其の僧此に於て省有り。当時若し是れ箇の漢ならば、他の「礼拝せよ」と道ふを等ちて、便ち与に禅床を掀倒せん。豈に許多の葛藤有るを見んや。且く道へ、雲門と玄沙と会する処、是れ同か是れ別か。他の両人の会する処、都て只だ一般なり。看よ他の古人出で来つて千万種の方便を作す、意は鉤頭上に在り。多少の苦口ぞ、只だ諸人をして各各此の一段の事を明らめしめんとす。五祖老師云く、「一人は説き得て却つて会せず、一人は却つて会して説き得ず。二人若し来参せば、如何が他を辨じ得ん。若し這の両人を辨じ得ずんば、管取す人の為に粘を解き縛を去ること得ざること在り。若し辨じ得ば、纔かに入門を見て、我れ便ち草鞋を著けて爾が肚裏に向つて走ること幾遭し了らん。猶自ほ省みずんば、什麼の碗をか討めて出で去らん」と。且く盲聾瘖啞の会を作すこと莫くんば好し。若し恁麼に計較せば、所以に道ふ、「眼に色を見ること盲に如き等しく、耳に声を聞くこと聾に如き等し」と。又た道ふ、「満眼に色を視ず、満耳に声を聞かず。文殊は常に目に触れ、観音は耳根を塞ぐ」と。這裏に到つて、眼に見ること盲の如くに相似、耳に聞くこと聾の如くに相似て、方に能く玄沙の意と多くを争はず。諸人還た盲聾瘖啞底の漢子の落処を識るや。看取せよ、雪竇の頌に云く、

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